▼スペシャルインタビュー▼
第二部「伝説の”試合時間1時間44分”の激闘」
〜いばらき少年剣友会監督 雨谷水紀〜
(以下 KENDO PARK=KP 雨谷水紀=雨谷)
雨谷水紀
1987年生 茨城県出身
父である益水氏の運営するいばらき少年剣友会(@茨城県)で剣道を始め、中学時全国道連大会個人団体優勝。
土浦日大高校時代に関東個人優勝、インターハイ個人ベスト8。
その後早稲田大学へ進学し、4年時主将に就任。全日本学生優勝大会第3位。早慶戦勝利。
卒業後に生家である学校法人益水学園に就職し、全日本都道府県対抗大会出場。
現在いばらきようちえん園長並びに、いばらき少年剣友会監督。
※前回まで:第一部【皆が”帰ってくる場所”を作る】
|相手の良さを消す
KP:
社会人になってから、ご自身の剣道に変化はありますか?
雨谷:
社会人になってからは、自分の稽古はほぼできていないと言って良いです。
子供達を教えるためほぼ毎日防具をつけてはいますが、私が中心となって全体の指導行っているので、剣道云々の前段階での仕事が多いです。
例えば子ども達(幼児)のトイレに連れていく事から、”ご機嫌取り”、また親御さんとのコミュニケーション等、本当に多岐に渡ります。
自分の稽古という意味でいうと、おそらく実業団剣士よりも稽古できていないと思います。
KP:
雨谷さんは多彩な技を駆使する印象ですが、ご自身の剣道スタイルを教えてください。
雨谷:
相手の強みを消して、自分の得意技に持っていくのが私のスタイルです。
特に間合いには、かなりこだわってきました。
・足を使って、相手の打突や間合いを測る
・相手の得意な間合いを把握し、その間合いを徹底的に潰す
・相手の迷いを生んだところで、自分の得意な所での勝負に持ち込む
というイメージです。
ちなみに、得意技はコテとツキです。
特にコテに関しては、調子が良い時は相手が崩れていなくても、空いているのが見えますね。
ただこれは小さい頃からの稽古の積み重ねによるもので、かつ稽古量が十分な時だけです。
逆に稽古量が少ない時は、打突機会の感覚も落ちるので、現在はなかなか難しいかもしれません。
|1時間44分もの激闘の裏にあったドラマ
KP:
学生時代に最も影響を受けたのは、早稲田大学だということですが。
雨谷:
ある程度名が知られた状態で早稲田剣道部に入部したのですが、実際に先輩と稽古してみると全く歯が立ちませんでした。
また、高校までは先生の言うことを聞いていればよかったところを、早稲田大学では学生主体の稽古なのでそれにも大変驚きました。
自分の甘さを痛感したと共に、人間として成長しなければならないと想いを新たにしました。
学生主体なので自由でしたが、一定の規律はとにかく厳しかったです。
この適度な自由と規律の環境が、今の自分に結びついています。
厳密に言えば、適度な規律が自由を活かすというところでしょうか。
とにかく本当に刺激的な4年間でした。
これが、現在の子供達の指導のベースにもなっていると思います。
KP:
そして大学4年生の最後の試合で、”1時間44分”という激闘を演じることになります。
雨谷:
4年時に大将として出場した早慶対抗剣道試合ですね。
※早慶対剣道抗試合
毎年年末に行われる早稲田大学剣道部と慶應義塾體育會剣道部による対抗戦。
今年で82回を迎え(2017年開催時)、男子は20名対20名、女子は7名対7名にて行う。
男女共に試合時間5分引き分けなし。
男子に関しては、抜き勝負と対勝負を毎年交互に行う。
他競技の早慶戦と同様に、試合前には校歌斉唱やエール交換等が行われ、極めて独特な雰囲気で行われる。互いのプライドをかけた戦である。
(雨谷氏が4年時に出場した第73回大会は抜き勝負)
私が入部してからは、毎年僅差での勝負でした。
その中でも4年時は両校共にとても力を持っていたので、連勝を途切れさせないよう必死でした。
※雨谷氏在学中、全日本学生剣道優勝大会において慶應義塾大学が正代正博選手(2015年世界剣道選手権日本代表・現警視庁)率いる国士舘大学を、早稲田大学が勝見洋介選手(同代表・現神奈川県警)率いる鹿屋体育大学をそれぞれ敗っている。
試合展開としては、早稲田側が大将の私を含め残り2人の段階で、慶應側には6人が残っていました。
早稲田の副将が踏ん張ってくれたおかげで、慶應側の副将大将を残す状態で私に回ってきました。
KP:
出番が回って来る際は、どのような心境であったのですか?
雨谷:
とにかく恐怖感が大きかったように思います。
ただでさえ早慶戦は独特な雰囲気の中で行われるので、その中で先輩たちの連勝を背負って戦うことは大きなプレッシャーでした。
実は大会前にOBの先輩方からは、「早稲田の大将として、お前に回ってくるまでは腕を組んでどっしりと座っておけ」といわれていたのですが、それどころではなかったですね。
元来事前準備をしないとダメな性分もあり、かなり前からウォーミングアップを行っていました。
落ち着くことなんて、できなかったですね。
KP:
大将戦の相手は、子供の頃から戦ってきた井口亮氏(現・三井住友海上)でした。
※参考:井口亮氏インタビュー記事
雨谷:
井口は、子供の頃から戦ってきた仲間です。
それまでの通算対戦成績は、2勝2敗だったと思います。
まさに、最終決着の舞台が用意されたような感覚でした。
私が慶應の副将相手に早い時間帯で一本を取ったのですが、井口を見ると面をつけるそぶりすら見せず、じっと座ったままでした。
仲間を信じ切ってギリギリまで動かない井口をみて、OBの方に言われた言葉を思い出しました。
副将戦の途中からは、相手ではなく、そんな井口の姿がチラチラ目に入っていたのを覚えています。
その井口のプライドが、私のプライドに火をつけてくれたのは間違いありません。
どんなことをしてでも引っ張り出してやると思いましたね。
KP:
大将戦では1時間44分という、剣道では考えられない長時間の激闘となりました。
雨谷:
まず申し上げたいのは、最後まで公平に試合を仕切っていただいた審判の方々、応援してくれた仲間やOBの皆さんへの感謝の気持ちです。
互いにコテが得意技であったので、コテの打ち合いがずっと続きました。
途中で少し技やパターンを変えたりしたのですが、打ちが少しでも中途半端になれば打たれると感じました。
それくらい互いに研ぎ澄まされていたので、最終的に”少しでもパターンを変えたら打たれる”と、双方が考えていたと思います。
KP:
最後はそのコテで、勝負を決めました。
雨谷:
最後まで自分の得意技にこだわった結果だと思います。
通常の試合であれば、水入りや反則決着なども有り得ましたが、審判の方々にも早慶戦の雰囲気と重みを感じていただいており、最終的には納得のいく一本での決着となりました。
サポートいただいた方々には、本当に感謝しています。
試合後は祝勝会を行うのですが、私はあまりの疲労で脱水症状を起こしていたようで、席の途中で嘔吐してしまい、その日は後輩の助けを借りながら帰宅しました。
後から聞くと、慶應の井口も肉離れの状態であったそうです。
もう対戦することはないと思いますが、私の剣道人生においては最も大きな経験であり、一生の財産です。
素材提供:雨谷水紀氏
|剣道の素晴らしさを世界に
KP:
今後の目標を教えてください。
雨谷:
何と言っても自分を育ててくれた学び舎と、いばらき少年剣友会を全力で守っていきたいと思います。
そして子供達が剣道で学んだことを通して、どんな小さな事でもいいので社会貢献できたと胸を張って言えるようになってくれると嬉しいですね。
昨今ITやAIの発達、グローバル化など、圧倒的なスピードで進化していきます。
その中で未来は想像できないことばかりですが、子どもの頃の経験や思い出は必ず財産になります。
見えない未来にも屈せずに立ち向かえるよう、彼らの心の支えや人生の糧になるような思い出を、剣道を通してつくらせてあげられたらと思います。
それからもう一つ、私個人の考えですが剣道のジャパンブランド化を確立してほしいです。
東京オリンピックがあることで、その前後はあらゆるスポーツにスポトライトが当たると思います。
剣道も普及のためにオリンピック・パラリンピックを目指して一定の商業化を図るというのも選択肢の一つであると思います。
私もスポーツが大好きですし、一種のビジネスのカテゴリーにもなります。
それに加えて、剣道は”残心”という素晴らしい言葉があるように、お互いをリスペクトする日本の美学を体現しており、世界の人達にもそういった精神性が求めてられていると思います。
実際に柔道人口の10倍であるということは、剣道にしかない魅力があるからだと思います。
剣道の持つ価値や魅力を伝えながら、多くの人達に広められたらと嬉しいです。
町中いっぱいに剣道着姿の子が溢れるよう、微力ながら頑張りたいと思います。
運営から:
剣道の試合としては、非公式ながらおそらく最長である可能性が高い1時間44分の激闘。
それは単なる試合ではなく、学校・仲間・そしてライバル関係が生んだドラマであったと感じました。
お話の中から、穏やかで素晴らしい人柄も感じることができました。
剣道普及の面に関しては、KENDO PARKとも色々な施策を検討中でございますので、是非ともご期待ください。
学校法人益水学園並びにいばらき少年剣友会の今後の益々の発展を、心より祈念しております。