▼スペシャルインタビュー▼
第一部「皆が ”帰ってくる場所” を作る」
〜いばらき少年剣友会監督 雨谷水紀〜
(以下 KENDO PARK=KP 雨谷水紀=雨谷)
雨谷水紀
1987年生 茨城県出身
父である益水氏の運営するいばらき少年剣友会(@茨城県)で剣道を始め、中学時全国道連大会個人団体優勝。
土浦日大高校時代に関東個人優勝、インターハイ個人ベスト8。
その後早稲田大学へ進学し、4年時主将に就任。全日本学生優勝大会第3位。早慶戦勝利。
卒業後に生家である学校法人益水学園に就職し、全日本都道府県対抗大会出場。
現在いばらきようちえん園長並びに、いばらき少年剣友会監督。
|学び舎と道場を後世に残したい
KP:
”雨谷兄弟”の名は、剣道界ではよく知られた存在です。
雨谷:
私は四男でして、長男は益水学園でいばらき中央こども園の園長、次男は茨城県警から高校教員、三男は実業団から中学校教員へ就職しました。
3人共それぞれ、数ある選択肢の中から大学と就職先を選択しました。
剣道を続ける上で、そういった道筋や選択肢を見ながら育ったのは、本当に大きかったと思います。
KP:
大学はお兄さんがいた国士舘や筑波ではなく、早稲田大学へ進学なさいました。
雨谷:
当時は今とは時代も全く異なり、国士舘大学や筑波大学は私生活も稽古も本当に厳しい環境だというのを、兄を見て感じていました。
その中で自分自身が憧れた道に進みたいと思い、中学一年生の段階で既に早稲田大学に行きたいと考えていました。
当時の担任の先生に伝えると笑われましたが、最終的には「頑張れ!」と言ってくれたのを今でも覚えています。
KP:
様々な選択肢がある中、卒業後は生家の学校法人益水学園に就職なさいました。
雨谷:
もちろん警察や実業団等でもやってみたい気持ちもあったのですが、大学卒業の2年後に保育園(現・いばらき中央こども園)の新規立ち上げが決まっていたこともあり、当時から茨城に帰って来るよう言われておりました。
自分の中でも悩んでよく考えたのですが、自分を育ててもらった学び舎と道場を後世に残していきたいという想いが強くなり、最終的に実家のいばらき幼稚園に就職することに致しました。
昨今の少子化の影響により、幼稚園や道場を維持することは大変難しくなっています。
その中で何とかその環境を維持したいということが、現職を選んだ最大の理由です。
もちろん私は、自分の育ってきた環境に心から感謝していますし、正しかったと自信を持っています。
KP:
子供の指導をするようになって、いかがですか?
雨谷:
現役時代とは必要とされることが全く異なるので、本当に難しいことばかりです。
正直剣道は、楽しい事より厳しい事の方が多いのが事実です。
そもそも”剣道を好きになってもらう”ところからのスタートなので、まずは遊びやゲームを交えながら、子供達の性格や特徴、様子を見て指導していきます。
一方で親御さんも様々な考えをお持ちの方がいらっしゃるので、それらに応えていくのも難しい部分です。
場合によっては、あえて親御さんの前で子供を叱り、親御さんも含めてこちらの姿勢を見せていくことも行なっています。
これには家族の支えや大切さを伝える意味も込めています。
全てにおいて、毎日失敗と反省ばかりです。
試行錯誤の連続ですが、謙虚に粘り強く自分の言葉で伝えていきたいと思っています。
素材提供:いばらき少年剣友会
|チームをつくり上げることの重要性
KP:
指導する上で大切にしていることは何ですか?
雨谷:
一つは、「環境に関係なく努力すること」です。
近年学校では、”とにかく平等”という教育方針ですが、実際は社会に出た途端にもろに競争社会にさらされます。
そこで自分がどのような環境にあっても、努力して生き抜くことを伝えたいと考えています。
私自身もそうですが、豊かで便利な時代になればなるほど人間は楽なほうに逃げたがると思います。
しかしそうではなく、挑戦して挫折しても何度でも立ち上がれるような、本来の人間力を身につけてほしいと考えています。
そのためにモチベーションスイッチを押してあげることもありますし、私生活の指導を厳しく行うこともあります。
もう一つのテーマは「コミュニティの形成」×「ダイバーシティーを最大限に生かす」ことです。
道場に来れば、本当に色々なタイプの仲間がいる中で、剣道以外でも仲を深めて、輪を広げる時もあります。
その中で互いに多様性を認め、目標に向かって一つのチームになっていくことは、何にも代え難い体験だと思います。
結果として、”誰しもが帰ってくる場所を作る”ことができればと思っています。
KP:
いばらき少年剣友会は昔から常勝軍団というイメージですが、指導はどのように行なっているのですか?
雨谷:
そのように言われることもありますが、全くそんなことはないです。
近年では所属道場を越境する選手が増えてきましたし、他地域の選手を勧誘している道場もあるのが実情です。
例えば昔の少年剣道でいえば、”次鋒と副将が穴”というような暗黙の相場がありましたが、今は5人全員が粒ぞろいのチームが多くなったと感じています。
そのような道場にはベースの実力では絶対に勝てないので、足りない部分を”チームビルディング”で補っていくよう指導しています。
先述の通り、多様な子供達を長い時間をかけて一つのチームにしていくのですが、チームが成熟してくるとこちらも驚くような力を発揮します。
「どんなに 薄い紙でも一枚一枚重ねていくと厚い紙になり、簡単に吹き飛ばされないような強い紙になる。」
これは父からよく言われた言葉です。
例えばあえて次鋒と副将の力がどれだけ重要で大切であるかを解き、それぞれの役割をはっきり認識させます。
このようにすることでチームとして、”つながり”を持った試合ができるようになります。
結果として、子供達皆で”勝利までの過程を共有すること”、これこそが一番大切だと考えています。
KP:
技術指導はどのように行なっているのですか?
雨谷:
いばらき少年剣友会の稽古では、基本的ことしか行いません。
本当に基本的なことしかやらないので、細かい技術指導はあまりしていないです。
理由は様々ですが、勝つためにだけやっているわけではないですし、それぞれのモチベーションや目的も異なるので、押し付けるような稽古にはしたくないという想いからです。
ただし、先述したようにチームがしっかりしていると、ムードメーカーの子が引っ張ってくれたり、自然と各自が技を工夫するようになります。
そんな時に努力している子や悩んでいる子がいれば、稽古後にアドバイスしてあげるようにしています。
また最近の子供達はネットリテラシーも高いので、Youtubeの映像資料を使って解説することもあります。
今は昔では考えられない事ができますので、その点は子供達がうらやましい気持ちもあります。
私は、子供達に決して“全国制覇しろ”とは言いません。あくまで子供達の自主性に任せています。
全国制覇とは並大抵の努力では叶わない事だとわかっているからこそ、子ども達自身での意識改革を求めています。
また、子供達が中学生になれば一般受験を考えている子、剣道推薦を考えている子等に別れていくので、その全員が学びやすい場所を作ることが一番大切だと考えています。
先述したように過程を共有していれば、目的意識が変わっても互いを認め合う事ができると思っています。
運営から:
道場が子供達の「帰ってくる場所」になってほしいという想いが、強く伝わってきました。
自身の剣道観と伝説の”早慶戦1時間44分の激闘”についてもお伺いしましたので、次回掲載いたします。
参考リンク: