「元剣道家が歩むキックボクサーの道」
〜プロキックボクサー 吉野友規〜
剣道で国体優勝およびインカレ3位の実績を持ちながら、プロキックボクサーに転向した吉野友規氏。
30歳を超えて尚、未知の領域に挑戦し続ける、そのメンタリティを伺いました。
(以下 KENDO PARK=KP 吉野友規氏=吉野)
– 吉野友規(よしのともき) –
1986年生 埼玉県出身
小学校2年生から妙武館高麗道場(@埼玉県)で剣道を始め、中学卒業後に本庄第一高校(@埼玉県)へ進学。
高校3年時に、国民体育大会へ埼玉県代表の大将として出場し優勝。
高校卒業が明治大学へ進学。
大学4年時に、全日本学生優勝大会第3位入賞(副将)。
大学卒業後は、富士ゼロックス東京(株)へ就職。
その後退職し、29歳でキックボクシングを始める。
プロライセンスを取得し、32歳でプロデビュー。
4戦4勝4KO(2020年3月現在)
スタージス新宿所属
憧れの選手は、アルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)。
|地元開催の国体で優勝
KP:
剣道を始めたきっかけを教えて下さい。
吉野:
元々猫背であったのを矯正するため、小学校2年生の時に父に剣道をやるよう勧められたのがきっかけです。
幼少期は妙武館高麗道場(@埼玉県)でお世話になり、そこで毎日のように稽古に励んでいました。
稽古内容も、相当厳しかったのを覚えています。
KP:
そこから地元国体で優勝なさいました。
吉野:
中学校卒業後に、埼玉県の本庄第一高校に進学致しました。
埼玉県内では比較的強豪として知られているとは思いますが、それに比例するように稽古も厳しかったと思います。
また体格が大きかったからか、2年生から大将を任せて頂きました。
とはいえ部内や県内にも強い先輩方が多数いらっしゃったので、その中で大将として勝ち抜くのは本当に大変でした。
それと同時に、私が高校3年生の年に埼玉県で国民体育大会が開催されることが決まっており、高校3年生の後半あたりから集中強化が始まりました。
この時の稽古は、人生で一番厳しかったかもしれません。
高校生にして、埼玉県警へ通い合宿のようなものを行い、2部練習は当たり前で最高4部練習(朝・午前・午後・夜)まで行いました。
他県の同級生は既に引退している中にも関わらず、ここまで追い込んで稽古をするのは、精神的にも本当にキツかったです。
国体では地元開催のプレっシャーもありましたが、埼玉県代表の大将を務めさせて頂き、何とか優勝を勝ち取りました。
参考記事:【レベルに合わせて強くなる】三井住友海上剣道部副主将 井口亮(1)
(この時の埼玉県代表先鋒が井口亮氏)
|厳しい環境を進む
KP:
その後明治大学へ進学なさいました。
吉野:
名門である明治大学へ進学致しましたが、ここでの稽古も本当に厳しかったです。
当時は森島健男先生(警視庁剣道名誉師範にして、2000年に返上するまで範士九段を所有していた)が師範を務めていらっしゃり、稽古内容はひたすら区分稽古でした。
その内容も、「切り返し→打ち込み→地稽古→掛かり稽古」を1セットとし、しかも各メニューは森島先生の裁量で区切っていく形ですので、いつ終わるのかもわからない程でした。
また、当時は「4年生が元に立って、下級生がひたすら掛かる」という稽古スタイルでしたので、特に1年生の頃は記憶が飛ぶくらい激しく鍛えられたと思います。
そういった中でも何とか稽古に食らいつき、同期が一人も辞める事なく4年間剣道部で過ごしました。
結果として、4年生の時に全日本学生優勝大会へ副将として出場し、3位に入賞致しました。
|格闘技への転向
KP:
キックボクシンへ転向なさったきっかけを教えてください。
吉野:
大学卒業後は富士ゼロックス東京株式会社に入社し、社内剣道部にも所属して実業団大会等にも出場していました。
しかし、今まで対人競技をずっとやってきたため、何となく「刺激が足りないな」と感じていました。
また体もあまり動かさなくなったことで、徐々に体調不良のような感じになってしまいました。
そんな折に、大学の先輩からキックボクシングジム(スタージム新宿)を紹介頂きました。
はじめは運動不足解消の気持ちだったのですが、やっていくうちにのめり込んでしまい、気がついた時にはほぼ毎日ジムに通っていました。
KP:
そこからプロを目指した理由を教えてください。
吉野:
剣道をやっていた経験から、目標を定めて一つ一つクリアしていくことが、自分にとってとても自然なことでした。
それを繰り返していくうちに、その先にプロのリングがあったというイメージです。
とはいえ実際に殴られる競技ですし、剣道とは勝手も異なるため、最初は本当に大変でした。
初めてリングでプロの選手とスパーリングした際は、全く何もできず、顔が腫れた上に、ローキックを打たれてそのまま痺れて立てなくなる程でした。
直接打撃がある分、必然的に怪我も増え、毎日練習しては怪我だらけの毎日でした。
しかし、とにかく「自分に負けたくない。強くなりたい。」と思っていたので、それでも練習を休む事は無かったですね。
このあたりのメンタリティは、明らかに剣道の経験からきていると思います。
|恐怖心を乗り越える
KP:
剣道もキックボクシングも、相手と対峙する競技だと思いますが、相手への恐怖心を乗り越える秘訣を教えてください。
吉野:
まずは、「経験」と「慣れ」で克服していくことだと思います。
例えば、先ほどのローキックの件で言えば、最初に受けた時は、痛い云々という以前に痺れて立っていられないという状態でした。
しかしそういった経験を通して、カット(=威力を軽減する受け方)の仕方や、相手が嫌がる蹴り方を学んでいきました。
あとは、「思い切りを持つ」ことだと思います。
剣道で言うところの「捨て切る」ということだと思いますが、やられても良いから思い切って相手に向かうことで、学ぶことも多いと感じています。
そのスタンスは、剣道でもキックボクシングでも同じではないでしょうか。
KP:
最後に今後のビジョンを教えてください。
吉野:
私は、まだキャリアの浅い選手の一人にすぎません。
ひたむきに練習して、1戦1戦リングの上で自分を表現していきたいと考えています。
明確な目標は内に秘めるタイプですので、それよりも是非リングの上で戦う姿を見て頂ければ嬉しいです。