▼スペシャルインタビュー▼
「無心で突き進む」
〜株式会社シオザワ 代表取締役社長 塩澤好久〜
「紙はこれから別の需要が生まれる」
製紙業界不況の状況ながら、多角化と高付加価値ビジネスで好業績を叩き出すシオザワ。
剣道人材を有効に活用した、圧倒的な経営手腕をお伺い致しました。
(以下 KENDO PARK=KP 塩澤好久氏=塩澤)
-塩澤好久-
1962年生 東京都出身
5歳で剣道を始め、以来中高と剣道部に所属。
高校卒業後、東京経済大学へ進学し、同大学剣道部に所属。
大学卒業後、昭和61年に凸版印刷株式会社へ就職。
同社退職後、平成2年に生家である株式会社シオザワへ入社。
平成9年に、株式会社シオザワ3代目代表取締役に就任。
平成23年に、株式会社4030ホールディングス設立および同社代表取締役就任。
株式会社シオザワとして、実業団剣道部を保有。
現在剣道錬士六段。
座右の銘は「亡己利他」
(2019年1月現在)
|「軍隊式教育」から得たもの
KP:
塩澤社長の剣道歴を教えてください。
塩澤:
もともと家族で剣道をやっている人はいなかったのですが、5歳の時に当時住んでいた木造住宅を親戚が剣道場として使用することとなり、その流れで剣道を習い始めました。
当時はスポ根、スパルタが当たり前の時代でしたので、「雪の中、裸足で表参道を歩く」等、今では考えられないしごきもありました。
そのまま、中学でも剣道部に所属いたしました。
中学卒業後、父親の勧めもあって全寮制の男子高校に進学いたしました。
それこそ軍隊のような生活で、ラッパの音で起床および就寝をし、1年生は風呂で湯船にも浸かれず、先輩には「ちわ、した、おす」しか言ってはいけないというような、スパルタを地で行く学校でした。
当然剣道の稽古も厳しく、勉強をする暇もありませんでした。
結果として、入学した1学期目で体重が10キロ以上減るほどでした。
このままでは精神的に持たないと考え、そのうちにしごかれる自分を別人格に置き換えるようになりました。
そうまでして、何とかやり過ごしながら生活をしていたように思います。
2年生あたりから、進学クラス、中級クラス、高卒就職クラス等に分かれていくのですが、同学年同士で不思議な連帯感が生まれていました。
例えば、定期テストでは進学クラスの生徒が勉強を教えてくれ、彼らが他校生徒に絡まれていたりすると、不良グループの生徒が助けに行ったりしていました。
一緒に厳しい生活を過ごす中で、「皆で一緒に卒業しよう」という意識が芽生えたのだと思います。
高校卒業後は、東京経済大学に進学いたしました。
ここでも剣道部に所属し、学生時代はずっと剣道漬けでありました。
KP:
当時の厳しい稽古や生活が、今に活きていることはありますか?
塩澤:
当時は稽古が嫌で仕方がなかったですが、今となっては役に立っていることもたくさんあります。
それは、「健康」「時間管理」「チームワーク」です。
私は、これまで大病をしたことがありません。
これは、幼少期に暑い日も寒い日も厳しい稽古に耐えたことで基礎体力が身についたのではないかと考えています。
私の健康状態一つで会社に多大な迷惑をかけてしまうので、経営者としては大変助かっています。
また、身につけた時間管理がビジネス面で活きています。
何事も5分前には準備を完了している癖がついているので、計画的にスケジュールを組み立てることができます。
当時の癖で、食事や風呂も今だに早く済ませてしまいます。
本当はゆっくりすべき時間なのかもしれませんが、自分のやりたいことに時間を振り向けられるので、これはこれで良いと考えています。
これに付随して、子供達にも時間管理や、挨拶、履物を揃える等の生活の基本が浸透していると思います。
チームとして連帯感を持って行動することも、高校時代に学びました。
厳しい生活ではありましたが、皆で助け合いながら目標(=高校卒業)に向かう姿勢というのは、現在のチームビルディングにも活きていると思います。
KP:
現代の学生との違いはどう感じますか?
塩澤:
今の学生を見ると、大学剣道部でも過剰な年功序列的な上下関係もないですし、学校や部活動も昔に比べて過ごしやすい雰囲気だと思います。
一方で現在の全日本選手権や世界選手権では、大学生や高校生をはじめ若年層が活躍しているので、「成果」という点では彼らの方が出ているのかなと思うこともあります。
旧来のスパルタ式教育からは、学んだことも多かったですが、それが実際の成果や実績に結びついたかは、疑問な部分もあります。
そう考えると、どちらが良いというわけではなく、今の学生の空気感も時代に即していて非常に良いと思います。
|時代の変化を感じ取る
KP:
生家の製紙業界ではなく、印刷業界に進まれたのはなぜですか?
塩澤:
生家である株式会社シオザワは、もともと製紙卸業者でした。
2代目社長である父からは、「継がなくても良い」と言われていたのですが、小さい頃から「紙」が身近にある環境であったので、「将来、何らかの形で紙には携わることになるのかな」と漠然と考えていました。
そこで調べてみると、紙業界には製紙の他に印刷や出版など、様々なビジネスがあることがわかりました。
特に印刷や出版は比較的クリエイティブなイメージがあり、個人的に面白そうだなと考えていました。
さらに調べてみると、印刷大手の凸版印刷株式会社は、剣道部も活発に活動していることがわかり、早速入社試験を受けに行きました。
たまたま面接官が剣道部の監督であったこともあり、幸運にも採用いただきました。
入社後は、欠員補充が発生したこともあり、新人研修もそこそこにいきなり現場に配属されました。
新人にも関わらず大手出版社の担当となり、取引先には当初口も聞いてもらえない状況でした。
何とか仕事に食らいつかなければならないと考え、剣道で培った機動力と人脈を駆使し、とにかく知識と経験を溜めました。
また当時はメールもネットもない時代でしたので、紙の原稿で編集作業を全て行っており、月間170時間もの残業をこなしていました。
しかし学生時代に厳しい生活を経験していたので、それが苦しいと思ったことはなかったです。
当時は「モーレツに働く人材」が重宝されましたので、私のような体育会系の剣道部人員は特に営業で活躍していたと思います。
KP:
剣道部での活動はいかがでしたか?
塩澤:
当時は工場に体育館施設が隣接しており、その中に自社道場がありました。
原稿の待ち時間や業務後の時間を活用して、稽古もそれなりの頻度で行なっていたと思います。
業務自体は大変でしたが、稽古が良い気晴らしにもなっていたと思います。
現在でも、凸版印刷の剣道部は実業団で活躍しているので、非常に嬉しいです。
KP:
そこから、紙原稿が徐々にデジタルに切り替わっていくことになります。
塩澤:
当時まず驚いたのが、肩掛け式の携帯電話の登場でした。
固定電話しかなかったのが、タクシーや工場などにも電話がつき始め、コミュニケーションの変化を感じました。
その後、ワードプロセッサーが登場し、フロッピーディスクでの原稿入稿が可能になり始めました。
まだデジタルプリントはなかったので、打ち出しは手動での打ち込みでしたが、仕事自体が変化していくことを強く感じました。
|変容するビジネス
KP:
生家である株式会社シオザワに入社するまでを教えてください。
塩澤:
当時は紙媒体メインの時代でしたので、在庫があれば売れる時代であり、紙材業者の仕事といえば代理店とメーカーを接待することでした。
さらにシオザワでは、バブル絶頂の時期に30億円をかけて全自動巨大倉庫を建設し、高度経済成長期における典型的なビジネスモデルでありました。
一方の私はというと、凸版印刷で紙材調達からデザイン、編集まで出版に関わる一通りのことを経験させていただきました。
そんな凸版印刷でもデジタル化の波が押し寄せており、業界としての変化の必要性を感じていました。
そんな中で生家のシオザワを省みると、紙材を購入して印刷会社等に販売しているという卸問屋のビジネスモデルのままでした。
さらに土日も完全休業で、営業チームも夕方には終業しており、ビジネスにおける付加価値がないことを強く感じていました。
「出版社がこんなに働いているのに、紙の供給元は殿様商売なのだな」と感じたとともに、紙在庫を背景として「自社でのものづくりや提案型ビジネス」が必要だと考えていました。
そこで父に新しいビジネスモデルを提案し、株式会社シオザワに入社することとなりました。
KP:
どのような事業を担当されたのですか?
塩澤:
新規事業として、機密文書のリサイクル事業立ち上げを行いました。
事業立ち上げにあたり、当時普及し始めたばかりだったマッキントッシュを3台購入し、デザイナー等も集めて専門のチームを作りました。
そこから、凸版印刷時代の人脈を駆使して営業を行い、1年半でそれなりの売り上げを立てるとともに、全日本DM大賞も受賞し、実績も積み上げました。
当時の営業トークは、「日本で一番紙在庫と紙の種類を持った会社」という触れ込みでした。
KP:
紙材販売事業は、どのように立て直したのですか?
塩澤:
ある程度新規事業が回るようになってきたので、今度は紙材販売事業の立て直しを父から託されました。
ちょうどその頃インターネットが登場し、データ通信が可能になり始めていました。
それまでディスクを使用していた原稿入稿も、データ送信で提出できるようになり、既存のビジネスモデルに相当な危機感を持ち始めました。
そんな中、世界初のオンデマンド印刷機がドイツで発明され、現地まで見に行きました。
まだドット数が粗かったですが、そのうちにクオリティが改善されれば、印刷業界は相当変わるのではと感じました。
当時、東京都内に約3,000社(現在は約1,300社)の印刷会社がありましたが、そのほとんどは小ロットでの印刷受注をメインとしていました。
それがオンデマンド印刷に代わり、オフィスにコピー機が装備されるようになれば、間違いなく中小の印刷会社は淘汰されると思いました。
その一方で、一般企業にコピー用紙の需要が生まれ、様々なサイズのカット用紙が必要になると考え、すぐさまターゲティングを変えるとともに、サイズ別カット用紙の販売に切り替えていきました。
|倒産危機からの復活
KP:
その後社長に就任なさいました。
塩澤:
1997年、35歳の時に代表取締役社長に就任いたしました。
社長を引き継いだ当時、時代はバブル崩壊の後遺症真っ只中で、倉庫購入時の巨額の借り入れが焦げ付く寸前となっていました。
取引銀行は軒並み貸し剝がしに来ており、会計士からは10億円の資金が足りないと宣告されました。
実務でも3期連続赤字で、債務超過ギリギリというところでした。
必死で各金融機関を回って金策に走り、一方で役員の報酬カットはもちろんのこと、後からの返済を条件に管理職の給与までカットをお願いしました。
ちなみに管理職へのカット分の返済は、完済するのに2012年までかかりました。
父からも「人は絶対に切ってはならない」と言われていたので、事業整理と経費削減、資産の処分を徹底的に行って会社財務の立て直しを図りました。
並行して人員の配置転換も行い、次の事業展開にも備えました。
運よく融資を受けられたこともあり、何とか事業立て直しに成功いたしました。
その後、いくつも新規事業を立ち上げたり、M&Aを行ったりするなど、既存のビジネスではない領域に積極的に投資を行いました。
それらがある程度うまくいってきた段階で、資本政策の整理にも着手し、2010年には念願であったホールディングス化を行いました。
それが、現在の株式会社4030ホールディングスです。
中核事業は機密文書の処理事業ですが、現在合計9つの事業会社を傘下に収めています。
|剣道人材の重要性
KP:
剣道部はいつ立ち上げられたのですか?
塩澤:
シオザワ剣道部は、私がシオザワに入社した際に、私を含むたった2人で立ち上げました。
剣道経験者がその2名しかいなかったのですが、凸版印刷の剣道部に頼んで実業団剣道連盟に入れていただき、3名の初心者を補充して試合に出たりしていました。
KP:
現在は剣道部員も多数いらっしゃいますね。
塩澤:
数年前に、各部署に散らばっていた剣道部員を集め、剣道部員だけで営業チームを作りました。
チームを作るにあたり、彼らには「前年比売上150%増」という途方もないような目標を立てさせました。
というのも、リーマンショック後から新聞や雑誌向けの紙需要が大幅に落ち込んでおり、「これは中途半端なことをやっていてもダメだな」と考えていました。
そんな中、各部署で剣道部員がコアメンバーとして活躍していることに注目し、彼らにビジネス推進を託すことを思いつきました。
彼らに期待しているのは、「無心に突き進む」ことです。
剣道は「捨て切って打つ技」こそが、最高の技とされています。
ビジネスにおいても、「リスクを恐れず、まずトライする精神」「あれこれ考えずに、一気に突き抜ける力」が大きな成果を生むと考えています。
実際、彼らは目覚しい成果を挙げ続けており、設立当初3名だった剣道部の営業チームも、今では7名にまで増えました。
「業績が向上すれば、剣道人員も増える」と日頃から言っているのですが、彼らはそれを身を以て体験してくれていると思います。
礼儀正しく機動力もある剣道部員は、営業スキルも非常に高いと感じています。
稼ぎ頭であるばかりか、他の社員にも良い影響を与えているので、今後も剣道人材の採用は積極的に行いたいと考えています。
|紙業界にみる今後のビジョン
KP:
今後のビジョンを教えてください。
塩澤:
現在社員には、「残る紙、残したい紙、伸びる紙」にフォーカスするよう話しています。
確かに、情報媒体としての紙需要は間違いなく縮小していくと思います。
一方で、情報管理の重要性の高まりから、機密情報の管理や処理需要は明らかに伸びています。
さらに、プラスチックやビニール素材も紙に置き換わりはじめています。
スターバックスコーヒーが、プラスチックストローを廃止し始めたのもその典型例です。
このように、「発想の転換」を行うことでいくらでもビジネスは創り出せます。
この姿勢が、現在のシオザワを支えています。
KP:
どのような人材を求めますか?
塩澤:
これから求められるのは、「仕事ができる人」ではなく「仕事を創り出せる人」です。
そのための必要要素として、「経営の5S」というものを定めています。
・スピード
・シリアス
・シンプル
・スタディ
・スマイル
の5つです。
弊社では研修会や勉強会のほか、飲み会やイベント、全社員でのドミノ倒し大会まで実施しています。
これらを通して、主体的に「仕事を創り出せる人」になって欲しいと考えています。
KP:
剣道人材に関してはいかがですか?
塩澤:
剣道部員を採用する際、必ず入社前に一緒に稽古をしています。
それは、「剣道には人間性が出る」と考えているからです。
これは肌感覚ですが、剣筋がまっすぐで、いわゆる正剣の子の方がビジネス感覚が優れていると感じています。
そのため、稽古では剣筋を見るようにしています。
KP:
今後の目標を教えてください。
塩澤:
私自身は怪我を抱えているので、最近なかなか稽古ができていませんが、七段昇段には是非挑戦したいと考えています。
またシオザワとしては、私が60歳になるまでに全日本実業団剣道大会でベスト8に入ること、そして自社ビル内に道場を造ることを目標としています。
シオザワでは、志高い剣道部学生を心待ちにしております。
是非一緒に、ビジネスを作り上げましょう。
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