▼剣道日本復刊記念コラム▼
「ジャイアントキリングの科学 〜Team USAの奇跡(2)〜」
〜剣道日本編集長 安藤雄一郎〜
月刊剣道日本元編集長の安藤雄一郎氏による連続コラムの第二弾。
アメリカチームが起こした”奇跡”の裏側を、掲載いたします。
前回まで:【ジャイアントキリングの科学〜Team USAの奇跡(1)〜】
|アジア系が多くを占める西海岸
試合のことに触れる前に、アメリカの剣道について触れたい。
前述の通り、日本は5人とも警察官。
一方のアメリカは、武道具店店員(サンディ・マルヤマ=先鋒)、会社員(ダニエル・ヤング=次鋒)、レストラン店員(フミヒデ・イトカズ=中堅)、弁護士(クリストファー・ヤング=副将)、銀行員(マーヴィン・カワバタ=大将)である。
彼らの顔だけを見れば「アメリカ人」というより「日本人??」と思われるかもしれない。
名前も日系人を想像させる。
この傾向はブラジルやカナダといった日系人社会の歴史の長い国によく見られる傾向でもある。しかし彼らはやはり日本人ではない。
私は5年ほど前にアメリカのトーランスという町に行って彼らが通う教室を見たことがある。
トーランスという町はロサンゼルス市街地から車で30分ほど離れたところにある町で、ロサンゼルス国際空港から10分程度のところにある。
昔から日系人が多く暮らしていて、市長も日系人が務めたことがある。
どうでもいいことかもしれないが私が宿泊したホテルは「ミヤコホテル」という名前で、ホテルの裏には「ミツワマーケット」というスーパーがあって、お弁当を買おうとしたら日本語で表記されていて閉店時には「蛍の光」が流れアナウンスも日本語であった。
さらにどうでもいいことだろうが、私はそこで寿司弁当を買って部屋で食べた。箸も弁当についていた。
「ミヤコホテル」の宿泊客に日本人が多いからで、市内にある企業は日本の企業が多く、日本から出張する人も多いのだ。
しかし、暮らしている人口の比率となると、日系人は減る一方で、そのぶん韓国系や中国系の比率が上がっている。
だから、トーランスで剣道をする子どもたちも非日系の割合が上がっている。
週末には、南カリフォルニア地域の剣道大会も見ることができた。
この大会はトーランスだけでなく近隣の多くの市からも参加がある大会だが、こちらのほうも参加者の大半は日系人や日本から移住してきた人、韓国系といった顔ぶれが多い。
総じて言えるのは、剣道は「アジア系」が愛好するスポーツのようだ。
日本を下したメンバーもすべてアジア系。
ただし、彼らの「日本語」に対する認識度には差がある。
マルヤマと2人のヤングは日本語の会話もまったく問題なくできる。
マルヤマとダニエル・ヤングは日常の仕事上で日本語を使う立場にもあり、クリストファー・ヤングは当時東京丸の内にある弁護士事務所に勤務していた。
ヤングの両親は台湾人と日本人で、幼少のころから二カ国語の生活をしていた。
ただし、ニューヨーク暮らしのカワバタはほとんど日本語を話すことはない。
|二つのLIFEを生きる
彼らにとって「剣道」というのはどういう意味があるのだろうか。
これは私の勝手な想像だが、彼らはアメリカに産まれアメリカで育ってはいるものの、外見だけを見ればその国の中でのマイノリティである。
どうしても先祖が育った国や地域を考えざるをえない。
彼らは面を着け、竹刀を振ることで「ああ。やはり自分には日本人の血が流れているのだ」と感じるのではないか、と想像する。
クリストファー・ヤングは、「仕事と剣道、二つのlifeがあると感じるときがある」と語っていたことがある。
仕事では当然英語を使い、アメリカ社会のど真ん中に生きているが、剣道をしているときは日本語を使う。数字を数えるときは日本語だ。
アジア系でないアメリカ人も数多く剣道を楽しんでいる。
日本へのあこがれを持つアメリカ人が剣道を愛好しているのである。
ただし、彼らがナショナルチームの代表になるケースはかなり稀だ。
ごくごく普通のスポーツととらえる非アジア系に対し、自己のアイデンティティを感じながら剣道をする彼らでは、地力のつき方にも差がつくのかもしれない。
前回も書いたが、強化のやり方もかなり日本的なものだ。
※参考:【ジャイアントキリングの科学〜Team USAの奇跡(1)〜】
個人主義が日本よりもより色濃いイメージのあるアメリカ社会だが、剣道に関してはそういうわけではなさそうだ。
兄のクリストファー・ヤングは、剣道が強くなりたいがために、高校時代は福岡県に数カ月暮らして福大大濠高校で稽古を重ね、大学生になったときには、留学先として筑波大学を選んで1年間剣道部に所属した。
弟のダニエルも兄にならって筑波大学に留学した。
はっきり言ってしまうが、のめり込み方が異常である。
彼の個人的な性格もあるかもしれないが、アイデンティティがそうさせるような気がしてならない。
ちなみに、ブラジルからもヤングが留学したのとほぼ同じ時期に筑波大学で稽古をした姉弟がいて、彼らも日系人である。
カナダに暮らす日系人にも、単身で来日して警察で稽古を積み重ねた剣士がいる。
ヤングは純粋に日本の剣道にあこがれを持って、福岡や筑波に飛び込んだ。
そして、2006年の世界大会でついに日本と直接剣を交える機会が訪れたのである。
ちなみに、クリストファー・ヤングはこの大会が4度目の世界大会であったが、過去3度の団体戦では、
1997年 準々決勝で韓国に敗退。
2000年 準々決勝で韓国に敗退。
2003年 準決勝で韓国に敗退。
という結果だ。
1997年の大会の予選リーグでアメリカと日本は対戦しているが(日本が勝利)、これはリーグ内の順位を決める試合であった。
実質的に、日本と直接雌雄を決する初のチャンスであった。
取材・文:安藤雄一郎