皆さんは「新渡戸稲造」(にとべいなぞう)という人物をご存知でしょうか。
かつて、五千円札に印刷された人物としても知られています。
明治期から昭和戦前期に活躍した日本の教育者で、東京女子大学の初代学長でもあります。
今回はそんな新渡戸稲造と、代表著書である「武士道」について解説していきます。
|新渡戸稲造について
新渡戸稲造(にとべいなぞう)がどういった人物であったのかについて解説します。
新渡戸稲造は、陸奥国岩手郡(現在の岩手県)の出身で、若くしで学問の修行をすべく洋服屋を営む叔父を頼りに上京しました。
その後15歳でクラークの設立した札幌農学校(現在の北海道大学)へ入学し、キリスト教に目覚めます。
当時の彼は「モンク(修道士)」と呼ばれるほどの敬虔な宗教徒になり、眼病や実母の死という壮絶な経験を乗り越えて東京に戻り、帝国大学に入学するなど学問の道を邁進していくこととなります。
そして著書「武士道」を執筆しました。
当時日本が西欧列強に対して力を強めていたこともあり、この書物は大変な関心をあつめ、各国語に翻訳されベストセラーになりました。
かの有名な米国大統領セオドア・ルーズベルトも、「武士道」の愛読者として有名な1人です。
その後の彼は、台湾総督府の技師や第一高等学校の学長、国際連盟の事務次長といった華々しい経歴を重ねていきました。
1928年には、札幌農学校時代の後輩である森本厚吉が創立した東京女子経済専門学校の初代校長に就任し、その5年後の1933年に出血性膵臓炎で死去しました。
彼は軍部の台頭する戦前期においてその脅威を説いており、新聞記者のインタビューに対して、「わが国を滅ぼすものは軍閥か共産党である」と、当時の日本を圧迫していた勢力に苦言を呈しています。
|新渡戸稲造と武士道
ここからは、先述した世界的ベストセラーとなった著書「武士道」について解説していきます。
「武士道」の原文は英語で書かれており、後に各国語に翻訳され西欧に紹介されていきました。
江戸から明治という、時代の過渡期を生きた稲造の目線から見た「封建主義的な価値観」を西欧諸国に紹介する目的で執筆されました。
つまりは、「外国人向けに日本人の気質を解説した文献」というスタンスです。
歴史的な観点から日本の封建制度がどのように構築され、日本的な「武士道」という価値観がどのように肯定されていったかを解説しています。
その中で日本的な価値観である「謙譲」の精神を紹介するのですが、こらは日本内においてのみ醸成されうる価値観で海外においては理解されないものであると稲造本人は考えていました。
しかしこの「謙譲」の思想は斬新な価値観として海外に受け止められ、「武士道」がヒットする要因ともなりました。
これらはつまり、日本人の価値観や行動規範の根底が、かつての「武士道」という考え方に求められるということです。
章立て
著書「武士道」は、以下の章立てとなっています。
第一章 道徳体系としての武士道
出典:岩波文庫「武士道」新渡戸稲造 (著)/ 矢内原忠雄 (訳)
第二章 武士道の淵源
第三章 義
第四章 勇・敢為堅忍の精神
第五章 仁・惻隠の心
第六章 礼
第七章 誠
第八章 名誉
第九章 忠義
第十章 武士の教育および訓練
第十一章 克己
第十二章 自殺および復仇の制度
第十三章 刀・武士の魂
第十四章 婦人の教育および地位
第十五章 武士道の感化
第十六章 武士道はなお生くるか
第十七章 武士道の将来
7つの道徳規範
「武士道」では、日本人の持つ道徳規範として、7つの要素に分けて紹介されています。
1) 義
「義」は常に人として正しい道を志し、自己の行動の判断基準となるものです。
卑劣な振る舞いや不正な行動を禁じ、「正義の道理」に基づいて行動を決定することが推奨されています。
これは、武士道における親子関係や師弟関係にも適用され、「不義理」を厳しく慎む価値観の元となっています。
一方で、その判断基準が「正しいかどうか」は時と場合にもよるため、「正義の道理」が詭弁として利用される可能性もあります。
現代社会に照らし合わせると、「強者=正しい」という固定観念のもと、「過度な同調圧力」や「無意味な忖度」が組織改革やイノベーションを阻害する現象が当てはまると言えます。
2) 勇
「勇」は、「義」を果たすためには勇気が必要であるということです。
「義」のために行われる勇気こそ、徳として数えられるものであると定義されています。
逆に言えば、孔子が「論語」の中で「義を見てせざるは勇なきなり」と言及したように、猪突猛進に危険を犯し命を投げ出すことは、「犬死に」および武士道では「匹夫の勇」として蔑まれる行為としています。
現代社会に照らし合わせると、新しいことは生み出したり、政治家やリーダーが何か決断をする時は必ずリスクをとる勇気が必要です。
しかし、そこには理にかなったビジョンや目的がないと、単なる「無鉄砲」になるということではないでしょうか。
3) 仁
「仁」は、愛や寛容、他者への情愛等をを指します。
武士道的な言葉では「武士の情け」と言われ、弱者や敗者を見捨てない心、哀れみをかける心もこれに含まれます。
特に民衆を治めるような君主、およびリーダーには必ず必要とされる徳であると、孔子や孟子も説いています。
「仁」は常に至高の徳とされ、先述の「勇」が男性的な徳とするならば、「仁」は女性的な徳と言われています。
現代社会に照らし合わせると、「相手を想う気持ち」「相手の立場に立つこと」が必要とされるということでしょう。
4) 礼
「礼」は、相手への思いやりを形として表したものです。
それには、物事の道理を尊重するとともに、相手の地位や立場を尊重することも含まれています。
「礼」は単なる立ち振る舞いの優美さではなく、相手の感情や優しさ、相手への同情により作用するものです。
「人とともに喜び、人とともに泣く」と言われるのは、こういった所以です。
一方で、礼儀における細かい作法や体系が存在することにより、柔軟な思考や行動が制限されることが懸念とされます。
これらを鑑みると、教養が伴ってこそ通じるものであるとも言えます。
現代社会に照らし合わせると、「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように、物事の道理を通すには礼儀が必要であるということでしょう。
一方で、それらが思考を阻害したり、忖度を産んだりする事で、新しいことを取り入れられなくなることがあります。
つまり礼儀の前提として、互いに人格や教養を磨いていることが重要と言えます。
5) 誠
「誠」とは、その文字の通り、「自己が言ったことを成す」ことを指します。
これはつまり、誠実さを表すということです。
武士道の言葉では、「武士に二言なし」と言われます。
武士にとって、嘘をついたりごまかしを行うことは、卑怯者であり臆病な行為とみなされました。
これが派生して、武士は富ではなく名誉にこだわる価値観となりました。
武士は銭勘定を徹底的に嫌い、誠の精神に基づいて証文さえもつくらないことから、「曖昧な商習慣」が醸成されていきました。
これらは、士農工商の身分制度が成り立っていた時代に、「権力者に富を集中させない」という観点や「武士に二言なし」という道徳規範の元に成り立っていたものと言えるでしょう。
現代社会に照らし合わせると、「誠実さ」や「実直さ」を重んじる道徳感が大切であるということでしょう。
一方で、日本人の特性とされる「お金のことを言いたがらない」「金融リテラシーの低さ」等は、この「誠」の価値観から来ていると言われています。
剣道にいても、「剣道でお金を取ってはいけない」という固定的価値観によって、道場や武道具店が減少していることと深く関係していると考えられます。
道徳的に極めて優れた「武士道」の価値観において、最大の弱点がここにあると言われています。
6) 名誉
「名誉」は、常に高潔さを求め、人格の尊厳を重んじる徳のことです。
逆を言えば、「羞恥心」を持つこととも言えます。
武士の間では、幼少期から「恥ずかしいことをするな」「名を汚すな」「笑われるぞ」といったことを教え込まれ、高潔さに対する屈辱こそが「羞恥心」であるという価値観が共有されていました。
これを体現化したのが、いわゆる武士の「切腹」です。
現代社会に照らし合わせると、日本人特有の「他人にどう思われるか」という感覚が、統制された社会規範と作っていると言えます。
また先述の「誠」と同様に、「お金よりも名誉」という価値観の元になっていると言えるでしょう。
一方で、名誉が権力者によって乱用されると、戦時中に代表されるような不条理な同調圧力や、信仰心による過度な言動に繋がることがあります。
7) 忠義
「忠義」は「何のために生きるのか」を指す徳のことです。
この「忠義」だけは他の6つの徳と異なり、騎士道や儒教等の他国の道徳規範と一致しない武士道特有の思想価値観です。
主君に絶対的に従順であり、忠義を尽くすことは共通であるが、武士は君主の奴隷ではなく、君主の誤った考えや判断に対しては、正義(=義)や正しい道を命を掛けて守り通すというとされています。
これが例え親子であっても、他人の方が「義」がある状況であれば、そちらに忠誠を尽くすとされます。
つまり「忠義」とは強制ではなく自発的なもので、当時の武士は己の正義に対して忠実であるという行動規範であると言えます。。
現代社会に照らし合わせると、リーダーは「正しい義理とビジョン」を示し、それに対し仕える者は「指示待ち」ではなく「自己の正義」にそって忠義を尽くすということでしょう。
まさに現代社会において、必要とされる社会体系であると言えます。
|剣道と武士道
上記のような「武士道」における価値観は、現代剣道に対しても大きく影響を及ぼしています。
まさに「剣の修練による人間形成」という価値観は、武士道で表した7つの徳そのものと言えるでしょう。
– 剣道の理念 –
出典:全日本剣道連盟公式HP
剣道は剣の理法の修錬による
人間形成の道である
– 剣道修錬の心構え –
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである
一方で、「誠」の部分で解説した通り「武士道」と「金銭勘定」があまりにも掛け離れているため、実際の運営現場の部分で無理が生じていることも事実です。
一般の経営的観点を排除するあまり、経営難による町道場や武道具店の減少、また剣道連盟自体も予算不足といった事態も出てきています。
「武士道」の価値間や道徳感を大切にしながら、現代社会にアジャストとして行くことが求められています。
参考記事:
【剣道の道場経営の難しさ】
【全日本剣道連盟のおサイフ事情】〜私たちの昇段審査料はどこへ?〜
|国際化と武士道
ここまでの内容を踏まえ、国際化が進む現代において、新渡戸稲造の「武士道」をどう受け止めるべきなのかをまとめていきます。
新渡戸稲造は「武士道」の執筆にあたり、武士道的な「謙譲」の精神は日本独自のものだと考えました。
これこそが、日本の誇るべき文化であるといえるでしょう。
今でも日本語に謙譲の精神は残り、日本人は「譲り合い」の精神をもつ民族であると形容されることがよくあります。
我々日本人の精神の根底に流れる「武士道」精神こそが、グローバル化していく社会において我々日本人のアイデンティティになっているものだと考えられます。
|現代日本に息づく「武士道」
今回は、新渡戸稲造と著書である「武士道」についてまとめました。
日本人の価値観や行動規範の根底には、「武士道」があることがよくわかります。
これらは、日本人の大切なアイデンティティとしながらも、現代に即したアップデートが必要なのではないでしょうか。