「手ぬぐい製作120年の重み」
〜神野織物 代表取締役 神野哲郎〜
創業120年を超える超老舗にして、日本でも数少ない「本染」の手ぬぐいを扱う神野織物(かんのおりもの)。
「老舗のジレンマ」を打破し、業績をV字回復させた手腕と、手ぬぐいユーザーである剣道家への想いを語っていただきました。
(以下 KENDO PARK=KP 神野哲郎氏=神野)
– 神野哲郎(かんのてつお) –
1959年生 兵庫県出身
追手門大学卒業後、紳士アパレルメーカーへ就職。
1994年に、先代の病気により神野織物に入社。
入社以降、行商の廃止、商品開発、販路開拓、HP開設、通信販売、動画配信、SNS等、数々の施策により、長年の赤字体質から業績をV字回復させる。
神野織物5代目にして、神野織物株式会社代表取締役社長。(2020年2月現在)
-神野織物(かんのおりもの) 沿革-
明治32年 北海道小樽にて神野新平が神野合名会社として創業
出典:神野織物公式HP
大正12年 神野伝治郎が大阪市東区農人橋で開業
昭和 9年 小樽市の(株)神野商店に合併し、神野商店大阪支店設立
昭和31年 (株)大阪神野商店設立
昭和33年 神野織物(株)設立 同時に神野新吾が社長就任
平成元年 現在地に本社新築移転
平成12年 社長 神野新吾退職につき神野雄三が社長に就任
平成13年 プレミアムインセンティブショー初出展
平成17年 神野 哲郎社長に就任
平成18年 経営革新計画承認企業として認証
平成18年 報道通信社「報道ニッポン」掲載
平成21年 ISO9001 (品質マネジメントシステム)取得
平成23年 ダイセン株式会社発行「繊維ニュース」掲載
平成23年 株式会社西日本新聞発行「西日本新聞」掲載
平成23年 株式会社タオルリポート発行「タオルリポート」掲載
平成26年 剣道日本 「剣道の必須アイテム手ぬぐい」掲載
令和元年 剣道日本 「手ぬぐいに見る表現と伝統」掲載
|明治創業の歴史
KP:
神野織物の歴史を教えてください。
神野:
神野織物は明治32年( =1899年)に創業し、創業120年以上の歴史があります。
私の曾祖父にあたる神野新平が、北海道の小樽で「神野合名会社」を設立したのが始まりです。
当時は生地の卸問屋として事業を行っており、大阪から仕入れた綿生地を満洲に販売していました。
政府と近い位置で商売をしていたらしく、日本が強かった時代というものあって、事業は一気に拡大して行ったようです。
その証拠に、当時の小樽本社の建物が戦後にGHQに接収され、そのまま利用されていたとのことです。
その後、生地の仕入れ部門として大阪に支店を作り、それが現在の神野織物の原型となりました。
それに伴い、小樽の事業所は昭和47年に廃業いたしました。
KP:
当時の商売はどうだったのですか?
神野:
あくまで「一次問屋」としての事業でしたので、仕入れたものを二次問屋に卸すだけの事業でした。
もちろん加工も製造も行いません。
当時はまだ、「卸業者」という業態が地位を保てた時代でしたので、それでも十分事業としては成り立っていたようです。
KP:
神野社長はいつから入社されたのですか?
神野:
私は、大学卒業後に紳士アパレル系の会社に勤務していました。
百貨店のセールスを担当していたため、大阪タカシマヤ、松坂屋名古屋店、岩田屋本店等、当時日本を代表する百貨店も担当させて頂き、企業としてのビジネスや繊維産業の基礎を学びました。
それが、先代である父が病気になった関係で、1994年に呼び戻される形で神野織物に入社致しました。
|万年赤字からのV字回復
KP:
”老舗を継ぐ”というのは、本当に大変なことだと思います。
神野:
一旦外でアパレルビジネスを学んだ身としては、当時の神野織物の体質は信じられないことの連続でした。
営業スタイルを昔から変えていなかったため、相変わらず風呂敷にサンプルを詰め込んで行商するスタイルでした。
当然広告戦略もなければ、コンピューターがあるのに手書き伝票を使用しているような状況でした。
最も驚いたのは、どんなに売上が悪かったりお客さんが来ようとも、常時17時に閉店していたことです。
売上に対するこだわりや、ビジネスモデルを思考する文化は皆無と言って良かったと思います。
その結果、先々代くらいからはずっと赤字で、それがまるで「当たり前」かのように慢性化していました。
とはいえ、過去に取得した土地や不動産等の資産があったため、さして危機感もなくそれらの資産を切り崩しながら食いつないでいた状況でした。
KP:
そこからどのように改革していったのですか?
神野:
「変化に対する耐性の弱さ」が老舗の弱点と考え、「生地を扱う」という以外は全て変えるつもりで改革にあたりました。
二次問屋だけしか販路を持っていないところを、広告やイベント用のタオル需要を販路を拡大するため、一般企業にも営業を開始しました。ギフトショーやインセンティブショーなどのイベントにも参加し新しいお客さんんとの接点を見つけようとしました。
しかし、信じ難い話ですが従前は駅前にある卸問屋にしか営業していないため、いつも徒歩と自転車で行商していました。
そこで営業にレンタカーを導入し、この展示会で知り合ったお客さんに営業をかけたり、各エリアにある広告会社や企画会社にも営業を行いました。
KP:
剣道の手ぬぐいを手掛け始めたのは、いつからでしょうか?
神野:
本染めの剣道手ぬぐいは、以前から扱っていましたがそんなに多くはありませんでした。
展示会で知り合った広告会社等に営業を開始したあたりから、徐々に剣道家の方向けの手ぬぐい製作も増えてきました。
問屋ビジネスやイベント需要等に比べると1回の数量は少ないものの、そもそも年間を通して最も手ぬぐいに触れているのは、間違いなく剣道家の皆さんですので、この方々を取り込まない手はないと考えたためです。
また剣道家の皆さんは、普段から手ぬぐいに触れているため、その良し悪しがわかります。
その意味でも、剣道家の皆さん向けに手ぬぐいを製作することは、極めて自然な流れであったと思います。
KP:
SNSやYouTubeでの動画配信等も、かなり早くからやられていらっしゃいます。
神野:
販路を変えたため、お客様からの発注や認知の動線を整えることを意識してきました。
入社直後から、公式ホームページ、通販システム、ブログ、メルマガ等、認知や購買に繋がることは一通りやってきたと思います。
YouTubeに至っては、最近になって企業も本腰を入れてきていますが、私は10年以上前から動画配信を行っています。
もちろんSNSアカウントも運営しており、「できることは全部やっている」という方が正しいかもしれません。
これらは単に「神野織物を知っていただくきっかけ」という以上に、「顧客接点」と考えているため、非常に重要視しています。
|剣道家にとっての手ぬぐい
KP:
剣道家向けに、神野織物の手ぬぐいの良さを教えてください。
神野:
手ぬぐいには、本染(=注染)とプリントがあります。
前者は生地の繊維から染め上げる手法で、柔らかく吸水性が高い一方、コストが高く複雑なデザインが難しいのが特徴です。
後者は生地の上にデザインをプリントする手法で、コストが安く複雑なでザインが可能な一方、生地が硬くなる上に吸水性が損なわれるのが欠点です。
※神野織物では両方取り扱っております。
剣道家ユーザーの方と話していると、剣道やっている人は本染(=注染)の良さをよくわかっていらっしゃると思います。日本伝統の剣道では、面の下に手ぬぐいを使うようになった時から本染(=注染)の手ぬぐいを使っていました。
本染はその柔かさと吸水性から、頭にフィットする上に汗を吸いやすく、剣道には最適です。
しかしこの本染は、日本国内のさらに大阪の泉州地方にある15件程度の工場でしか製作できません。
※全国でも30件程度
しかもそれぞれの工場によって、得意不得意もありますし、製作ロットの制限(ex. 100本〜条件等)があるところも多いです。
私どもは、お客様からのリクエストに応じて最適な工場をチョイスし、最大限それを具現化し20枚から作ることができます。
KP:
剣道家には、手ぬぐいを通してどのようなことを感じて欲しいですか?
神野:
「モチベーションを上げるツール」であって欲しいです。
剣道は比較的格好や色合いがある程度統一されているため、個性や違いを出しにくいと思います。
その中で、学校や道場で手ぬぐいを揃えたりすることで、それが「憧れの対象」になったり、「チームのシンボル」になってくれれば良いと思います。
ちびっこ剣士が先生や強い先輩と同じものを身に着けることで、自信になり練習にも身が入り励みになるみたいと関係者に喜ばれることがあります。
また、稽古毎に変えるものですので、その日の気分やテンションに合わせてデザインを選んでくれれば良いと思います。
剣道手ぬぐいと同じデザインで団旗も作成します。
これもチームワークや団結力に寄与すると思います。
本染めの工程
1)糊付け
1枚分ずつ折り返しながら、型紙の上から糊を塗っていく。
2)染色
生地に染料を流し込み、圧力をかけて内部まで浸透させる。
そこから裏返して、さらに同様の工程を行う。
最後に安定剤をかけて、染料を定着させる。
3)洗い
余分な染料を落とすために、水で洗い流す。
4)乾燥
風通しの良いところで、反物を吊るして自然乾燥させる。
この反物は20mにもなり、吊るすには高さが必要。
その後、ローラーでシワを伸ばし、折りたたんでから1枚ずつカットしていく
5)納品
袋に詰めた上で、熨斗をつけて納める。
|変えてはいけないこと
KP:
最後に、長年手ぬぐい製作に携ってこられた想いをお聞かせください。
神野:
老舗ならではの感覚ですが、「変えなければいけないこと」と「変えてはいけないこと」があると思います。
かつて、手ぬぐいや浴衣用の小巾生地需要が無くなったことで、赤字体質に突入していきました。
しかしそこで、「タオル・手ぬぐい製作」から変えなかったことが、今になって生きていると思います。
私が改革にあたった際も、「生地を扱う」ということだけは変えませんでした。
もちろん歴史と資産があったが故に、「変われなかった」という側面もあります。
しかし、商売が変わり、お客さんが変わり、提携先との付き合いが変わっても、変えてはいけないことを守り続けた結果が120年を超える歴史に繋がっていると思います。
責任は大きいですが、老舗としての歴史を守りながら、時代にアジャストしたビジネスを模索していければと考えています。
是非剣道家の皆さんには、神野織物の手ぬぐいを使っていただきたいです。