【”元祖”武州藍染の誇り】野川染織工業(武州一) 野川雅敏

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野川染織 武州一

▼武道具店インタビュー▼

元祖”天然武州藍染の誇り

〜野川染織工業(武州一) 野川雅敏〜

武州藍染の歴史から、最高級の天然発酵藍染剣道着ブランド「武州一」シリーズについてもお伺い致しました。

(以下 KENDO PARK=KP   野川雅敏=野川)

KENDO PARK

-野川雅敏-

1959年生 埼玉県出身

最高級剣道着ブランド「武州一」、天然発酵藍染製法「Bushu Process」を継承し、2003年に野川染織工業(株)4代目社長として代表取締役に就任。

剣道着以外への進出も進め、藍染アンテナショップ「ジャパンブルーテラス」、和様生活着ブランド「喜之助紺屋」をリリース。

2014年に創業100周年を迎えた。

※1914年創業、1950年法人設立。

剣道七段(2018年9月現在)


|江戸時代から続く歴史

KP:

今や「綿袴といえば武州」と言われるほど武州の名は浸透していますが、その中で野川染織工業の藍染は何が違うのでしょうか?

野川:

弊社で手がける藍染製品は、完全天然発酵の藍にて糸から染め上げているのが最大の特徴です。

天然発酵のため、染織方法も他とは大きく異なります。

これを差別化するために、製法を「Bushu Process」と名付け、剣道着シリーズを「武州一(ぶしゅういち)」ブランドとして展開しています。

もともと武州という呼称は、「武州一」の通称として使われていました。(後述)

現在武州の呼称製品が多いのは、武州一の評判を聞きつけ、意図的に武州や武州藍染を販促に利用する業者が数多く現れたことからきています。

こうした形でユーザーの方々を混乱させてしまっているので、野川染織工業では、武州藍染についてしっかり定義付けするようにしています。

KENDO PARK
武州一シリーズを取り扱う「浅間堂」はこちらから

KP:

武州藍染の歴史を教えてください。

野川:

そもそも「武州」というのは、かつて埼玉県、東京都、神奈川県にまたがっていた「武蔵野国」を示す地名です。

その中でも利根川中流にあたる埼玉県羽生市、加須市周辺は、古くから洪水が多く肥沃な土壌が形成されていました。

藍は「肥料食い」と言われるほど栽培コストが高いので、その肥沃な土壌が藍を育てるのに最適でした。

一方で水はけも良かったため、江戸時代に本格的に綿が広まってきてからは、綿花栽培も行われるようになりました。

藍染と綿の相性が良いことから、藍染製品の生産が盛んになったといわれています。

生産コストが高い藍染製品は、鎌倉時代まで貴族向けの高級品でしたが、その後の武士の台頭によって、彼らも兵衣として藍染製品を身につけるようになりました。

そのうちに藍は、木綿や菜種(ナタネ)等とともに江戸時代の商品経済の要となっていきました。

江戸時代後期には、現在の行田市産の足袋(たび)がすでに名産品として全国に流布し、藍染はその生地として使用されました。

羽生の藍染は、江戸時代後期から農業の副業として始まり、分業化を経て地場産業へと発展していきました。

これに目をつけたのが、後に日本を代表する大実業家となる渋沢栄一です。

渋沢家はもともと利根川沿岸の深谷出身で、地域の名主を務める富裕農家でしたが、藍玉(=藍染料を固形化したもの)製造に着手しました。

その後、発展形として藍問屋の事業をスタートし、渋沢家のビジネスの礎を築きました。

経済の発展もあり、藍染製品の需要は爆発的に拡大し、明治後期には羽生市周辺一帯は300軒もの紺屋を擁する一大生産地として最盛期を迎えました。

一方で、埼玉県北部での藍玉(=藍の葉から作られる藍染の原料)生産量は減少の一途をたどり、徳島県産の藍玉がメインに用いられるようになっています。

この時の藍染製品は、足袋や野良着向けの反物がメインで、昭和の高度経済成長期までその需要は続きました。

野川染織 武州一
全国でも数少ない天然発酵の藍染製法。
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KP:

野川染織工業の歴史を教えてください。

野川:

1914年(大正3年)に、野川染織工業の前身となる紺屋が初代野川喜之助によって創業されました。

ちょうど第一次世界大戦の時期にあたり、戦後には大恐慌や関東大震災も経験しています。

そういった時代の変化の中で、羽生市の藍染は技術革新や商品開発によって生き残ってきました。

1950年(昭和25年)には、2代目野川正之助により野川染織工業株式会社が設立されました。

時を同じくして、弊社の青縞(=藍染の綿織物)を「武州紺」と命名し、関東一円への販売を開始いたしました。

この「武州紺」が、現在の「武州一」の前身となるものです。

しかし、昭和中期に高度経済成長を迎えると、野良着や足袋が完全に洋服に取って代わり、青縞の需要は一気に減退しました。

そこで1971年(昭和46年)に、先代の野川喜重が剣道着製造に乗り出しました。

当時既に、剣道具(防具)向けの藍染生地を生産している業者は存在していました。

一方で弊社は藍染の反物生産が強かったため、剣道着にフォーカスして生産を開始し、翌年には剣道着ブランドとして「武州一」を商標登録いたしました。

これが、武州藍染で最初のブランドであり、現在の「武州一」シリーズの始まりです。

野川染織 武州一
藍染製法を「Bushu process」として商標登録。
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|剣道分野での事業展開

KP:

そこから4代目の雅敏社長に引き継がれました。

野川:

私が事業に参画した頃は、剣道が隆盛を極め、剣道具全般がよく売れていた時代でした。

それに加えて、それまでの剣道着は硫化染め(=低品質な化学染料)が主であったため、弊社製品は天然発酵の藍染ということで一気に販路が広がりました。

産業構造としても、もともと染色業者、織物業者、卸問屋と分業制であったところを、自社で製織まで手がけることで、卸問屋を通さずに直接小売店に卸すスタイルを取っていました。

当時は小売店とエンドユーザーとなる剣道家との関係性が良く、販売力も大きかったため事業としても安定していたと思います。

並行して武州藍染の保守にも取り組み、1992年(平成4年)には天然発酵建て藍染製法を、「Bushu Process」として商標登録致しました。

このような「需要の開拓」と「伝統技法の継承」の両立は、先代から積極的に取り組んでいる課題です。

KP:

近年での環境の変化を教えてください。

野川:

剣道着生産を行う業者が増え、安価な国内製藍染が登場しました。

武州藍染の生きる道としては、業界として剣道向け需要に向いていくのは自然な流れであったと思います。

その後、海外製の藍染剣道着が出てきてから、流れが変わりました。

他の剣道具(防具)と同様に、韓国産ものもはまだ良かったのですが、生産拠点が中国に移ってからは粗悪品も数多く出回るようになりました。

そして2000年頃から、いわゆるジャージ道衣が登場し、稽古用として一気に普及していきました。

手入れの簡便性も勿論ですが、夏場の気温上昇に伴ってユーザーにニーズをつかんだのだと思います。

現在では稽古のみならず、試合等でもジャージ道衣を着用している選手を見るようになりました。

ちょうどその逆風の最中、2003年(平成15年)に私が4代目社長に就任いたしました。

野川染織 武州一
4代目である野川雅敏現社長
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|情報発信の重要性

KP:

若い世代をはじめ、なかなか藍染綿道衣の魅力を感じにくくなっているかもしれません。

野川:

それは感じています。

業界としてもこれまで情報発信ができていなかったので、魅力が伝わらないばかりか、誤った情報も多く伝わってしまいました。

例えば新品の藍染剣道着に関して、かつて色落ち防止のためにお酢を入れた浴槽で洗うというのが全国的に流行りました。

これは科学的根拠がなく、単に生地を傷めるだけなのですが、情報が無かったために人づてに広まったものでしょう。

そういう意味で、現在は情報発信の重要性を強く感じています。

野川染織 武州一
今まで製造現場を見せることも少なかったとのこと。
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KP:

天然発酵藍染による「武州一」シリーズの特徴を教えてください。

野川:

前提として、藍染の効能は3つあるといわれています。

・殺菌及び抗菌

・消臭

・糸の強化

以上の3つです。

これらはあくまで、天然発酵による生きたバクテリアがいることでもたらされる効果です。

現在出回っている藍染剣道着は、そのほとんどが化学染料が混ざっています。

一方で、「武州一」の剣道着には生きたバクテリアが多数含まれますので、耐久性や抗菌効果は確実に得られると思います。

KP:

「武州一」の総手刺道衣についても教えてください。

野川:

「武州一」の総手刺道衣は、全国及び世界でも珍しい完全にハンドメイドの道衣です。

手で生地を刺していく場合、生地が”よって”しまい、平らな布生地に仕上げるには相当な技術が必要です。

さらに剣道具(防具)の布団と異なり、刺の印となるラインを引くこともできないので、直線に刺していくだけでも大変難しい作業です。

これを実現するため、職人独自の感覚で力加減を調整しながら、道衣の生地になるように刺し上げていきます。

実は現在流通しているほとんどの手刺道衣は、機械を使用した「半手刺」ではないかと思います。

というのも、近年手刺風に製織できる機械が開発されていますので、製造コストの高い完全な手刺道衣は、ほとんど機械製造に取って代わられている状況です。

生地の特徴としては、弊社の総手刺道衣は刺が一直線ではなく、かなり立体的です。

平たくいえば「ゴツゴツ」しています。

これにより新品の状態からすでに柔らかく、ふんわりした着心地を実現しています。

一方で機械を使用しているものは、あらかじめ目が詰まっていて、刺がきれいに揃っています。

結果として、仕上がりの生地は硬めで、平べったくできているのが特徴です。

このように半手刺道衣は、一見美しく見えますが着心地の柔らかさはにはかなりの差があります。

野川染織 武州一
総手刺道衣は、立体的でゴツゴツした刺となる。
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機械を用いた”半手刺”道衣は、目が細かくかなり平たい。

▼【武州一】世界最高級総手刺道衣▼

【武州一】世界最高級総手刺道衣
【武州一】世界最高級総手刺道衣はこちらから

▼【武州一】市松一重剣道着▼

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【武州一】市松一重剣道着(0~4号)はこちらから
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KP:

今後の目標を教えてください。

野川:

武州発祥の天然発酵藍染の普及と存続のために、事業を続けていきたいです。

普及のためには、ジャンルにとらわれずに野川の武州藍染を発信していきたいと考えています。

2009年(平成21年)には、アンテナショップ「ジャパンブルーテラス」を羽生市内に開店致しました。

2014年(平成26年)には創業100周年を迎え、和様生活着ライン「喜之助紺屋」を発表致しました。

このように、剣道着以外の分野にも積極的に進出しているところです。

存続に関しては、息子が入社しましたので、彼に技術を伝承しつつ事業を受け継いでいくことが私の責務であると考えています。

このように武州藍染の文化を維持発展させつつ、その先頭として野川染織と武州一の名が広まれば良いと思っています。

▼「武州一」シリーズは以下店舗ページから▼

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▼【武州一】総手刺道衣・市松文様道衣は以下店舗ページから▼

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