「コロナ禍をどう生きるか」
〜剣道居酒屋「第二道場」 石塚一輝〜
剣道普及事業「剣道プロジェクト」の代表にして、大阪に剣道居酒屋「第二道場」をオープンした石塚氏。
様々な困難がありながら、試行錯誤を経て状況を打開してきました。
オープン直後にコロナウイルス感染拡大に見舞われた状況から、いかにして生き残ってきたか、そしてその「やり切る力」についてお伺いしました。
(以下 KENDO PARK=KP 石塚一輝氏=石塚)
-石塚一輝(いしづか かずき)-
1979年生 大阪府出身
元大阪府警主席師範石塚美文氏(範士八段)を父に持ち、小学校3年生時より剣道を始める
中学よりPL学園中高に進学し、高校時代に玉竜旗・国体優勝
中央大学に進学し、全日本学生剣道優勝大会団体準優勝、関東学生剣道優勝大会優勝
卒業後にパナソニック株式会社(旧松下電工㈱)に入社し、全日本実業団剣道大会3位
全日本都道府県対抗剣道大会優勝(大阪代表)
入社5年目にパナソニック女子剣道部(旧パナソニック電工㈱)創設に参画し、設立3年目で全日本女子実業団剣道大会3位、翌年準優勝に導く
2014年にパナソニック株式会社を退社し、ユースフルワールド株式会社を設立
並行して、剣道の価値向上プロジェクト「剣道プロジェクト」を創設
2019年に剣道居酒屋「第二道場」を大阪京橋にオープン
現在、ユースフルワールド株式会社代表取締役及び、剣道プロジェクト代表
|「第二道場」というキーワード
KP:
剣道居酒屋「第二道場」オープンまでの道のりを教えてください。
石塚:
構想自体は、2019年6月あたりに出てきたものだったと思います。
「剣道プロジェクト」という事業を手がけており、当時自分一人で全国各地の剣道チームを訪問しておりました。
しかし、自分だけで全国津々浦々まで訪問するのは限界があるなという部分もあり、新たな施策を考えているところでした。
私は大阪で剣道をやっているのですが、先生方や一緒に稽古を行なった方々と、稽古後に会食に行く機会が非常に多かったと思います。
まさに、剣道用語で言うところの「第二道場行くか」というやつです。
そうしているうちに、「では第二道場自体を作ってしまうのはどうか」と考えるようになりました。
元々思い立ったら一気にやり切る性格ですので、6月に構想してから3ヶ月後の9月には、店舗オープンにこぎつけました。
店名も、まさにそのまま「第二道場」と名付けました。
KP:
剣道特化とはいえ、飲食業ということで、ターゲットが非常に広いように思います。
石塚:
第一のコンセプトとしては、剣道家が集まってコミュニケーションを取れる場所を作りたいということです。
稽古後に集まれる場所であり、さらに言えば剣道をきっかけとして、剣道以外の部分でも繋がりが生まれる場所でありたいと考えています。
もう一つのコンセプトとしては、剣道を昔やっていた人や、剣道をやったことない人も、改めて剣道に触れる機会を作ることを目的としております。
そういう意味では、テーマとしては剣道に寄せていますが、幅広い層を受け入れられる体制を作りたいと考えています。
KP:
多くの剣道部学生がアルバイトとして活躍されています。
石塚:
元来「剣道プロジェクト」では、剣道部学生の就職支援や企業での教育・研修等を行なっています。
その延長として、「第二道場」アルバイトの学生を雇用できることは、私共にとっても学生にとっても、非常に大きいメリットを感じています。
学生には、店舗でのオペレーションのみならず、原価・収益モデル・集客・営業等も見せて教えています。
彼らは部活動に熱心な反面、社会について学ぶ機会が少ないと感じているので、あえて実際の現場を見せることで、経験と自信を持って社会に出てほしいと考えています。
それにより、「ただの居酒屋バイト」以上の価値を感じて頂いているのか、店舗での仕事にも本当に熱心に取り組んでくれています。
参考記事:【剣道の価値と評価を高める】剣道プロジェクト 石塚一輝
|差別化を図る
KP:
未経験からの飲食店出店ということで、簡単ではないように思います。
石塚:
大変なことばかりでしたが、特に場所の選定が大変でした。
「京橋」という、大阪北部の旗艦ターミナル駅に出店したのですが、京橋にした理由は、サラリーマンが多い街であり、継続的な需要と共に、会社帰りの社会人剣道家も来店くださるのではないかと考えました。
しかし、当然ながら飲食大激戦区ですので、物件の空きもなかなか無いですし、好立地であれば極めてコストが高まりますので、条件の合う場所を見つけるのに大変苦労しました。
結果として、京橋中央商店街(リブ・ストリート)の奥に位置する場所に店舗を構えました。
商店街を選んだのは、もともと学生時代に京橋でよく下車していたのですが、当時に比べ、商店街も場所によってはかなり廃れてしまいました。
その意味でも、少しでも商店街を活気付けたいという気持ちもありました。
また若干奥まった場所に位置しているのは、「剣道家の隠れ家」という意味合いを含めています。
いわゆる「一般マス顧客」がメインターゲットではないため、路面店である必要がありませんので、これらの要素を勘案して出店場所を決定致しました。
KP:
内装は本物の道場に限りなく近く、大変驚きました。
石塚:
本物の道場を、できるだけそのまま作り込みたいと考えていました。
そこで、実はある道場をモデルに内装施工にあたりました。
飲食店にも関わらず、入り口で靴脱いで頂きますし、神棚、名簿ボード、小型の太鼓のようなものまで設置しています。
入店いただいた方には「神前に礼」をして頂く等、剣道を思い出して頂く仕掛けをふんだんに盛り込んでおります。
そういった「変わりダネ」感もあり、開店してから間もなく、テレビや新聞等の各種メディアにも取り上げて頂きました。
|名物の「鍋」
KP:
メニュー開発はどのようになさったのですか?
石塚:
「第二道場」の名物は鍋メニューなのですが、そこに行き着くまでにはいろいろな紆余曲折がありました。
飲食未経験での参入でしたので、どこから仕入れるかも、どのようなオペレーションが発生するかもわかりませんでした。
そこで、最初は飲食業をやっている知人に教えていただき、何とか「それっぽい」メニューを揃えるのがやっとでした。
先述の通り、オープンしてすぐにメディアが取材に来てくれたのですが、「名物は何ですか?」という問いに明確に答えられませんでした。
これはまずいと思い、定番メニューの開発に取り掛かりました。
何が良いかと考えているうちに、やはり自分の原点に立ち返ろうという考えに至りました。
私は中学・高校とPL学園(@大阪府富田林市)でお世話になり、学生時代に長いこと寮生活を送ってきました。
「第二道場」では、多くの剣道家が集う場を作りたいという想いもありましたので、「皆で一緒に囲えるもの」をテーマにメニューを考えました。
そこでたどり着いたのが、「鍋」メニューです。
当店の鍋メニューでは、鹿児島素材を多く使用しているのですが、飲食未経験かつ、1店舗経営の私のような者に食材を提供してくれる業者はなかなか見つかりませんでした。
そこで鹿児島県に1週間程度滞在し、各業者へ訪問して直接仕入れ交渉を行いました。
それでもなかなか思うように材料調達ができず、最終的には剣道の繋がりがある知り合いに協力を頂き、何とか仕入れを行えるまでになりました。
当店で扱っている鍋の食材はもちろん、馬刺やお酒も鹿児島のものを扱っておりますが、どれも剣道関係の皆様にご尽力頂いて取り揃えた物ばかりです。
このような剣道のつながりには、心より感謝しております。
鍋の種類に関しては、北海道から鹿児島まで、各県の鍋を専門に扱う飲食店を探し、自分で実際に行って研究しました。
未経験だからこそ、先入観なくメニュー開発を行えたと思います。
|剣道が生む繋がり
KP:
晴れて2019年9月にオープンなさいました。
オープン時の集客はどのようになさったのですか?
石塚:
SNS等でオープンの告知をしたところ、全国から剣道関係の方々が来てくれました。
そこからさらに知人をご紹介頂いたり、剣道を知らない方も含めてお連れ頂く等して、多くのお客様にいらして頂きました。
剣道を知らない客様にも、店内の色々な仕掛けを大変面白がって頂いたと思います。
ただ、これはあくまで「オープンのお祝い」の意味合いも強く、決して店の集客力がついていたわけではなかったため、オープンして2~3ヶ月後には、お客様の数も鈍化していきました。
年末の忘年会需要等で若干盛り返したものの、年が明けてからも低調な状況ではありました。
それが、2020年2月に関西テレビ放送の情報番組「よ~いドン!」において読点が放送され、状況が変わりました。
そこから2月のみならず、3月や4月頃まで予約で埋まり始め、一般のお客様にも立ち寄って頂けるようになったことから、「なんとか飲食店として形になってきたかな」と思っていました。
|コロナ禍をどう生きるか
KP:
それがコロナウイルス感染拡大で、飲食店にとっては突然大変厳しい状況になりました。
石塚:
当初大阪では、3月前半頃までは「東京で何か大変なことが起こっているらしい」くらいの雰囲気でした。
それが3月後半になって、一気に予約のキャンセルがで始め、そこからは「来る電話が全てキャンセル連絡」という状況でした。
精神的には、かなり辛かったのを覚えています。
さらに懇意にして頂いていた大阪府警や実業団剣道部でも、組織として外食禁止を打ち出し始め、さらに4月からは緊急事態宣言が発令されたことから、「お客様ゼロ」という状況を初めて体験しました。
当時はコロナウイルスの対策等も確立しておらず、特に大阪では「エリア限定」かつ、あくまで「自粛」という状況でした。
当然、要請業種別の休業要請や飲食店への休業補償も無く、その他補助金等に関してもあまり情報がなかったため、この状況がどこまで続くか分からず、不安や恐怖心が大きかったと思います。
KP:
その状況から様々な施策を打ち出されました。
石塚:
挽回施策を考えるにあたり、改めて店舗の周辺を観察してみました。
すると、サラリーマンの方の人通りは激減したのですが、建設業の方は変わらず地域に多くいらっしゃることがわかりました。
そこで取り掛かったのは、「ランチ」と「夜定食」の提供です。
周囲の一般顧客の皆様をメインに、お酒を提供せずに定食の提供を始めました。
並行して、地域の建設業の方々には、折を見て缶コーヒーを配る等して、少しずつ地域での認知を広げていきました。
その結果、地域の皆様にも食事にいらして頂けるようになりました。
もう一つは、お弁当のデリバリーです。
ランチと夜食用のお弁当を作り、企業の工場や警察に配達に行くようになりました。
特に警察官の方は夜勤が多いので、「警察官特製弁当」を製作して、夜勤時間に配達することを始めました。
とにかく必死であったので、いわゆるデリバリープラットフォームを使うのではなく、自前で営業から配達まで行う形を選びました。
|新たな展開
KP:
コロナをきっかけに、新たな展開が生まれたということですね。
石塚:
とにかく、必死にもがき続けた結果だと思います。
結果として、それまで付き合いの無かった地域の企業とも繋がることができました。
そこから派生し、そうした企業に剣道部学生を紹介するような形も話も出てきています。
そういう意味では、大変な状況ではありますが、無駄なことはひとつも無かったと思います。
剣道居酒屋「第二道場」から、様々な交流や取り組みが生まれてきています。
是非、大阪にお立ち寄りの際は、当店にいらして頂ければ幸いです。
参考記事:【剣道の価値と評価を高める】剣道プロジェクト 石塚一輝