▼剣士スペシャルコラム▼
「ろう者剣士の遥かな夢」
〜宮坂七海(みやさかななみ)〜
耳が聞こえない「ろう者」でありながら、女性剣道家として輝かしい実績をもつ宮坂氏。
今回ご本人とお父様に取材を行い、その歩みと剣道観を記事にいたしました。
-宮坂七海(みやさかななみ)-
東京都出身
小学5年生時、東競武道館(@東京都大田区)にて剣道を始める。
学校法人「明晴学園」卒業後 、日体荏原高校総合コースへ進学。
高校2年時に、東京都高等学校春季剣道大会にて優勝。
第5回全日本都道府県対抗女子剣道優勝大会に、東京都代表として出場。
高校卒業後、日本体育大学体育学部へ進学。
剣道部での活動と並行して、2017年よりクレー射撃競技を開始し、オリンピック・パラリンピック出場を目指す。
※ろう者(聾者)の定義
聾者(ろうしゃ)とは、聴覚障害者の一区分である。ろう者、聾啞者(ろうあしゃ)ともいう。
出典:ウィキペディア
ろう者の意味内容は多義的であるが、主に聾学校卒業者や日本手話使用者、聾社会に所属している人が、自分のこと(自分のアイデンティティ)を「ろう者」と呼称する。音声言語獲得前に失聴した人が多い。また、聴覚障害者という単語には『障害』という言葉が含まれているので、その表現を嫌う人も自分のことを「ろう者」と表すことが多い。手話を堂々と使い、聞こえない自分を肯定している聴覚障害者に、自分を「ろう者」と呼ぶ人が多い。
|人との繋がりを持ちたい
宮坂さんは、いわゆる「ろう者」として産まれた。
私たちのように、自由に日本語を聞いたり話したりすることはできないが、主に日本手話と筆談によって日常のコミュニケーションを取ることができる。
中学までは、ろう児を持つ親たちで立ち上げた日本手話で学べる学校、「明晴学園」に通っていたため、家族や友達とは日本手話で自由に会話ができ、ろう者だからといって特に不自由なことはなかった。
まさにそこが宮坂さんにとっての「自分の世界」であった。
そんな状況から一気に環境が変わったのは、小学校5年生の時である。
剣道との出会いであった。
剣道経験のある父・修見(おさみ)さん勧めで、東京都大田区の東競武道館に通い始めた。
それは「一つのことに集中することの大切さを、娘にも伝えたかった」という想いからであった。
宮坂さん自身も、「剣道を通じて、耳が聞こえる人たちと繋がりたかった」という想いを持っていた。
剣道を始めて出会ったのが、沢山の「耳が聞こえる」仲間であった。
「初めての環境で不安だったが、温かく受け入れてもらえて嬉しかった」と話す。
指導にあたった豊村東盛(とよむらあずもり)氏(=範士八段)は、「こちらのそぶりを見て、何をすべきか察する集中力があった」と言う。
多くのろう者に見られるように、宮坂さんも眼から情報を得る力が、すば抜けて優れている。
宮坂さん本人も、「私は耳が聞こえないので、耳以外の感覚を研ぎ澄まして、物事を捉えている」と言う。
「最初のうちは、どこから打ち込まれるかわからず怖かった」そうだが、稽古を重ねるうちに相手の動きや気持ちがわかるようになってきたと話す。
それと同時に、「剣道は相手がいなければできない。それを考えると、自然と相手に対する感謝の気持ちを持った」とのこと。
「人との繋がりを持ちたい」という想いは、この時からずっと変わっていない。
|”聞こえないこと”は特別ではない
指導にあたった豊村氏の勧めもあり、高校は特別支援学校ではなく、「普通の」高校である日体荏原高校(@東京都大田区)に進学した。
同校の指導方針は、「決して特別扱いはしない」こと。
授業は板書を中心に、タブレット端末や音声変換アプリも活用して理解した。
友達との会話は筆談が中心であったが、そのうちに友達も少しずつ手話を覚えてくれて、徐々に円滑にコミュニケーションが取れるようになっていった。
所属した剣道部は、都内でも強豪チームとして知られる。
その中で、毎日のように激しい稽古をこなした。
剣道の稽古は「声」が大きな比重を占めるが、指示を聞き取れないため、部員から身振り手振りで稽古メニューを教えてもらった。
また稽古ではメモ帳を持参し、先生からの指導は筆談を通じて理解した。
監督として指導にあたった岡村敏博(おかむらとしひろ)氏(=教士八段)からは、「相手に敬意を払い、チームで助け合う心を持つ」よう指導を受けた。
そして高校2年生の時に、東京都高等学校春季剣道大会で優勝し、遂に東京都チャンピオンとなった。
東京都代表として、第5回全日本都道府県対抗女子剣道優勝大会にも出場し、全国の強豪選手と鎬を削った。
「もちろん稽古や試合で苦しい時もあるが、そういう時こそ支えてくれた方々への感謝の気持ちを思い出す」と宮坂さんは言う。
|クレー射撃でオリンピックを目指す
高校卒業後、全国随一の強豪校として知られる日本体育大学へ進学を果たす。
体育学部へ入学し、剣道部にも迷わず入部した。
もちろん稽古は厳しいものであるはずだが、「全国から集まった選手たちと、一緒に稽古するのは楽しい」と話す。
2017年からはオリンピック・パラリンピック出場を目指し、クレー射撃競技を開始した。
日本体育大学と日本財団からパラアスリートとして支援を受け、海外遠征にも行くなど多忙な日々を送っている。
ろう者として眼からの情報収集に優れている上、剣道を通して鍛えた集中力が備わっているため、驚異的な速度で上達していると言う。
オリンピック・パラリンピック本大会出場にはまだ遠いが、今後の活躍が期待される。
|”ろう者剣士”の道の先に
将来の夢を聞くと、「後輩たちに剣道を教えたい。ろう者である私でも、思う存分剣道に打ち込むことができた。 そして、報われるまで努力する。 このことをもっと色々な人たちに知ってほしい」と話す。
今でも時間を見つけては、東競武道館の稽古に参加し、後輩に稽古をつけている。
先日、スウェーデンの国営テレビが宮坂さんの取材にやってきた。
ろう者向けの番組撮影とのことで、「是非ともお会いしたい」との依頼であった。
出演者も撮影クルーもスウェーデン人のろう者であったが、すぐに打ち解けた。
実は、 日本のろう者の中で一般的に使われているの手話は所謂「日本手話」である。
海外とのコミュニケーションにおいては、国や地方によって手話が異なるため話すのは容易ではない。
その中で、高い集中力と「剣道を伝えたい」という想いが、互いのコミュニケーションを成立させていたようである。
「私は、剣道を通して多くの人と繋がりを持つ事ができた。しかも剣道は生涯スポーツ。だからこそ、一生剣道を続けていきたい」
それが剣道人生における目標だ。
<取材・文>永松謙使