「イタリア最高級皮革で作る防具袋とは?」
〜剣道革工房Zen 横山紀夫〜
イタリアトスカーナ地方の世界最高品質の革を使用し、超高級防具袋と竹刀袋を開発した横山氏。
そのルーツは、戦後すぐの剣道再興期から続く、近代剣道の歴史と共にありました。
剣道もバッグ製作も、「経年変化を楽しみ、さらに後世に伝えて欲しい」という同じメッセージを持っているという横山氏に、その歴史とこだわりをお伺いしました。
(以下 KENDO PARK=KP 横山紀夫氏=横山)
-横山紀夫(よこやまのりお)-
1940年生 高知県出身
戦後禁止されていた剣道が復活した、中学生時代に警察道場にて剣道を始める。
1959年に早稲田大学入学および剣道部へ入部
大学卒業後、高知県の農機具メーカーへ就職
1968年に海外貿易を専門とする商社を創業
2000年に創業同社の代表を退任
2001年に合同会社チームサンフラワーを創業および同社会長に就任
2009年にイタリアの教え子と「如風館」道場をフィレンツェに開設
高知県に私設道場「風の庵」も所有
現在、剣道教士五段(旧段位制度含む・2021年7月現在)
|戦後すぐの剣道との出会い
KP:
横山会長の剣道との出会いを教えてください。
横山:
剣道に最初に触れたのは、戦後の剣道復活期であった1950年代だったと思います。
当時は学校の剣道部や町の道場もなかったため、近隣にあった警察の道場で始めました。
まだ撓競技(しないきょうぎ=戦後のGHQ統治下で制定された、洋服を着て竹刀で打ち合う競技)も併存していた時期で、まさに徐々に剣道を復興させようとする機運が出てきた時であったと思います。
その後、自分のペースで細々と剣道は続けていましたが、早稲田大学への進学を機に転機が訪れました。
入学直後に学内を歩いていると、たまたま竹刀の音が聞こえてきました。
何となく道場へ行ってみると、そこで行われていた稽古の熱気に心を打たれ、そのまま入部することになりました。
周囲には中高で実績を挙げている強豪選手等もいましたが、私のようにただ剣道が好きでやってきた連中もたくさんいて、毎日道場に行くのが楽しみで、4年間剣道部生活にどっぷり浸かって過ごしました。
その間に、生涯における恩師や多くの剣友との出会いがあり、後から考えれば、私の人生にとって大変大きな出会いだったと思います。
KP:
卒業後はどのようになさったのですか?
横山:
出身地の高知県に帰って、地元の農機具メーカーに就職いたしました。
大証二部上場を控えた、地元では比較的勢いのある企業で、その中で色々な事業を任せていただきました。企画本部に所属し、経営計画立案や輸出に携わり、
そういった環境でビジネスのノウハウを学べたのは、大変良い経験でした。
一方で、この会社に剣道部があり、高知では強豪チームのひとつでしたので、剣道も続けていました。
実は学生時代から、変な意地を張って昇段審査を受けず、無段のままでした。
今も若干そういう風潮はあると思いますが、当時から地方のほうが「段位主義」のような空気感が強く、無段の私は肩身の狭い思いを度々していました。
先生方に度々段をとるように勧められて断り切れず、24歳から昇段審査の受審を始め、28歳で五段を取得致しました。
というのも当時は現在と異なり、五段までは毎年昇段審査の受審が可能でしたので、毎年昇段して五段を頂くことができました。
考えるところがあって、そこで昇段審査の受審をやめたのですが、それからかなりの年月が経過してから、「教士号」を頂きました。
「教士五段」というのは、現在ではかなり珍しいかもしれません。
|育まれた海外志向
KP:
事業を創業なさった経緯を教えてください。
横山:
28歳の時に貿易会社を創業したのですが、そのルーツは学生時代に起因していたと思います。
早稲田大学剣道部に所属していた当時、原宿近辺に「ワシントンハイツ」という在留米軍とその家族が住む、約100万㎡の広大な米軍施設地(のちの東京オリンピックの選手村)がありました。
その内部のアメリカンスクールにおいて、たまたま剣道のデモンストレーションを行う機会を頂きました。
すると、アメリカンスクールで「剣道を習いたい」という子どもたちが次々と現れ、最終的に週2回程度剣道を教えに行っていました。
当時の日本は、やっと本格的な戦後復興に入る時期で、まだまだ物資不足かつ貧困が激しい状況でした。
そのような中、ワシントンハイツ内ではいつもご馳走が振る舞われ、度々食事に招待頂くのが、高知の田舎から出てきた貧乏学生には本当に楽しみでした。 また、活きた英語も自然に身についていったと思います。
こういった原体験から、海外思考が強くなり、貿易会社をやりたいと思うようになりました。
そこで海外製品を取り扱う貿易会社、今で言うところの商社を創業いたしました。
「日本に無いものを、海外から持ってくる」
「海外に無いものを、日本から持っていく」
というようなコンセプトの仕事でしたが、単なるトレーディングではなく、すぐに商品開発段階から携わるようになりました。
このスタイルは、別会社を経営する今でも変わっておりません。
最終的には約30年にわたって経営に携わり、約20名のスタッフと共に年商約30億円を生み出す会社にまで育てました。
|剣道が繋ぐヨーロッパとの縁
KP:
ヨーロッパとの繋がりはどのように生まれたのですか?
横山:
40年か50年くらい前でしょうか。
剣道部の同期であった安藤宏三君(故・早稲田大学教授および剣道部師範・剣道教士八段)が、ドイツ剣道連盟の永久師範になっていました。
仕事の都合でよくドイツに行っていた私は、彼が指導に来る度に声をかけて頂き、現地で一緒に指導にあたりました。
その縁もあり、ナショナルチームが来日する際には私の自宅に宿泊してもらう等、家族ぐるみで付き合いを持つようになり、今でも交流が続いています。
彼の指導の甲斐もあって、当時のドイツはヨーロッパの中でも一番強かったと思います。
KP:
その後、ヨーロッパでの軸足をイタリアに移されます。
横山:
イタリアとの関わりは、20年ほど前からだと思います
当時、長女がフィレンツェでジュエリーデザインを学んでおり、その後現地で国際結婚をしたのを機に、フィレンツェへよく行くようになりました。
現地に剣道場もいくつかあったため、フィレンツェでも剣道をする機会もあり、徐々に交友関係ができていきました。
フィレンツェでの教え子の一人であり、その後日本でも剣道を学んだ者がいたのですが、彼がフィレンツェで道場を開設したいとの希望を持っていました。
そこで現地での道場開設をサポートし、2009年に「如風館」(JOFUKAN)を開設いたしました。
今では、私の孫がそこで剣道を学んでいます。
また、イタリアとは別のご縁もありました。
谷勝彦先生(剣道範士八段・現 慶應義塾大学剣道部師範)が毎年イタリアに指導にいらしており、「如風館」を開設したその教え子が谷先生のセミナーの世話役のひとりでした。
イタリア北部のペドロという、アルプスに近い風光明媚な山岳の町でセミナーが毎年夏に開催されていて、5年くらい前に彼に誘われる形で私も参加させて頂きました。
そこで谷先生と知り合いとなり、それから毎年現地セミナーに参加するようになりました。
そのようなご縁もあり、思いがけずイタリアとの関係が深まっていったと思います。
|イタリアの最高級革製品
KP:
イタリアの革製品を取り扱うようになったきっかけを教えてください。
横山:
もともと貿易会社を経営していた時から、ヨーロッパのファッション関連商品は比較的得意としており、革製品も取り扱っていました。
その後創業した貿易会社は2000年に退任し、後進に譲ったのですが、翌年の2001年に現在の「合同会社チームサンフラワー」を設立致しました。
そこでメイン商材として取り扱っているのが、子供用の時計やジュエリー、そしてイタリアを中心としたヨーロッパ製のバッグです。
今回の防具袋や竹刀袋製作につながったきっかけは、4~5年前の出会いが始まりです。
イタリア・フィレンツェの街中を散策中に、たまたまビンテージバッグを揃える小さなショップを見つけました。
陳列ラインナップが大変個性的で、それまでの経験からピンとくるものがあったため、飛び込みで訪問して日本で販売して良いか交渉を行いました。
結果として日本での販売許可を得ることができたため、晴れて日本に持ち帰ることができました。このとき選んだバッグのひとつが、後日、映画「AI崩壊」で主演の大沢たかおがもつバッグに採用されました。
そのバッグは、イタリアのトスカーナ地方の最高級の革を使用しており、バッグとしての品質も最高で、一見長年使い込んだようなビンテージな風合いをもっています。
現在では複数のバッグ製作工房と提携するまでになり、商品開発から携わることができる体制が構築できています。
このような経緯もあり、防具袋や竹刀袋を開発することとなりました。
|「エイジング」という魅力
KP:
今回の防具袋や竹刀袋製作について教えてください。
横山:
革製防具袋や竹刀袋の構想は、実は私の学生時代にまで遡ります。
早稲田大学を卒業する際に、剣道部の恩師から革製の竹刀袋を頂きました。
当時革製品はぜいたく品で、戦前から所有しているような年配の方しか持っていない品でした。
恩師の先生が使用していたもののため、経年使用による独特の風合いがあり、その後長きにわたってその竹刀袋を愛用しておりました。
そこで感じたのが、革製品独特の「エイジング」の魅力です。
革は使えば使うほど、質感や色合いが変化していく素材です。
高級であればあるほど、その変化を長年にわたって楽しむことができます。
それが最終的に「自分だけの物」になるわけです。
これは、剣道にも通じるものがあると思います。
剣道は、年齢とともに技や内容に深みや味が出てくるものです。
そうして長年かけて得た技術や剣道観を、先生方は後進へ伝承していきます。
このようなところが、上質な革製品の特徴と非常にリンクしていると感じています。
私どもの防具袋と竹刀袋は、先述の通りイタリアトスカーナ地方の最高級の革を使用し、現地の歴史あるバッグ製作工房において、職人が一つ一つ製作しています。
長年使い込んで頂き、「世界に一つだけ・あなただけの逸品」にして頂きたい想いから、すべての商品に製作した工房の刻印と、シリアルナンバーを入れております。
「一生モノ」を超えて、さらに後進にも渡っていくような防具袋や竹刀袋をお届けできれば幸いです。
|未来に伝える責務
KP:
剣道具や剣道そのものへの想いを教えてください。
横山:
昨今剣道具の生産力が向上し、比較的安価で実用的なものがいつでも買えるため、良いものを長期にわたって使っていくような風潮は、かつてに比べると減退しているように感じます。
特に私はヨーロッパの剣道を見てきたのですが、彼らは日本人よりもパワーがありますし、日本とは気候も異なりますので、クリティカルな剣道具の破損や、それによる大きな事故も目にしてきました。
もちろん以前に比べると、全体の品質は格段に良くなってきておりますし、汎用的な物でもクオリティが上がっているとは思います。
その一方で、モノが溢れた現代だからこそ、古きを求めたり、手間ひまかけて製作されたものを使い込むような価値観が、あっても良いのではないかと感じています。
また、剣道が時代とともに世界に普及していく様子も見てきたつもりですが、文字や映像での情報通信の発達とともに、「競技スポーツ」としての剣道が広がってきた側面もあると思います。
どちらが先にうまく「一本」をとるか競い合う競技になった感があります。
その一方で、剣道のコアファンに限って言えば、外国人の方が「本質」を知りたいというニーズも強いと感じています。
本来、剣道の妙味は、一本を取る前、打ちを出す前の攻防にあります。
私としては、そういった「本質を知りたい」というニーズに対して、防具袋や竹刀袋を通して、応えていきたいと考えています。
熟練のバッグ職人が、精魂込めて、無心で作り上げていく過程に思いを馳せてもらえればうれしいです。
KP:
今後のビジョンを教えてください。
横山:
「自分だけのモノ」として後世に残るようなものを、皆様に届けていきたいですし、是非手に取って頂きたいと思います。
今後は、イタリアのハイブランドにあるような、イタリアン・テイストやカジュアルなデザインも取り入れながら、剣道具との融合を目指し、愛用していただける年齢層を少しずつひろげていきたいと考えています。
実は剣道をやっている孫が、デザインやビジネスをフィレンツェで学んでいます。
今回このような商品開発ができたのも、孫が現地で試作品の製作過程に深く関わり、工房とのパイプ役を果たしてくれていることが元になっています。
革製品を後進に渡していくように、私の取り組みも孫に引き継いでいければ本望です。