▼武道具店インタビュー▼
「技術継承こそ職人の責務」
〜西野竹刀製作所 代表西野勝三〜
数少ない手作り竹刀師として、全国に数多くのファンを抱える西野氏。
職人の後継者不足が問題となっている今、未来への貴重な提言をいただきました。
(以下 KENDO PARK=KP 西野勝三氏=西野)
– 西野勝三 –
大分県出身
17歳で竹刀製作に携わるようになると、竹刀製作の大名人、初代「弘光」より技術伝承を受ける。
1989年に、西野竹刀製作所を設立すると共に、3代目「弘光」銘を継承。
手作り竹刀製作に携わって60年以上。
現在、全国各地に10名以上の弟子を抱える。(2018年10月現在)
|3代目「弘光」銘を受け継ぐ
KP:
西野竹刀製作所の歴史を教えてください。
西野:
もともと大分にある実家が、竹材の事業を行っていました。
竹の切り出しから加工、販売まで竹材全般を扱っていました。
高校2年生の時に、そこの手伝いを始めたのが始まりです。
KP:
竹刀製作はどれくらい行っていたのですか?
西野:
竹材の販路の中でも、剣道の竹刀は割合が大きかったと思います。
そのため、製作所には竹刀職人が8名も在籍していました。
当時は工房に親方がおり、職人の腕にしたがって個別に材料を渡していました。
それにより、職人別にある程度専門性が分かれていました。
その時の一番の取引先が、東京の「弘光」という竹刀業者でした。
これが現在の「弘光作」という銘の由来です。
KP:
どのように技術を習得したのですか?
西野:
手伝いを始めた1年後に、東京の「弘光」を追って現在と同じ埼玉県草加市に移りました。
一緒に仕事をするうちに、初代「弘光」の職人から技術伝承を受けました。
並行して、息子さんである2代目「弘光」さんとも仕事をしていました。
手削り専門であった初代と異なり、2代目は竹刀の輸入卸も手がけていたため、当時の草加市の拠点には、輸入在庫の倉庫や製造工場の機能も備えていました。
今ほど海外メーカーが日本に入ってきていなかったので、年間30万本くらい取り扱いがあったと思います。
現在竹刀シェアトップの「宏達」とも、ずっと取引がありました。
※参考記事:【世界最大の竹刀工場を歩く】宏達(信武商事)
KP:
そこから草加市で西野竹刀製作所を設立なさいました。
西野:
平成元年に、「弘光」からスピンオフする形で西野竹刀製作所を設立いたしました。
それと同時に工作用機械も購入し、「弘光」銘を3代目として継承致しました。
設立当初から、手削りの竹刀製作専門で販売をしていました。
もともとのファンがいたこともあり、オーダーは最初からかなり頂いていたと思います。
手削りですと1日20本の製作が限界ですが、毎日休みなしで製作しても間に合わないほどでした。
技術を伝達する暇もなかったので、すべてのオーダーを1人で捌くしかなかったですね。
|竹刀製作の真髄を極める
KP:
竹刀製作で最も難しい部分は何でしょうか?
西野:
「矯め(ため)」(=曲がった竹材繊維を、まっすぐにする工程)ですね。
この「矯め」こそが、市販の竹刀と西野竹刀の最大の違いです。
通常の竹刀工場では、竹材を熱しながら機械で両サイドから一定の力で圧力をかけ、竹材の曲がりを矯正します。
しかし、竹の繊維は部位によって曲がりや密度が異なるので、同じ力で圧力をかけても完全に真っ直ぐにはなりません。
部位ごとに矯正していくには、最終的に人力で行うしかありません。
熱した竹材を左右の膝で押さえながら、手と木具で捻って「矯め」を行います。
作業自体は単純ですが、かなりのコツを必要とします。
KP:
そのほかのこだわりを教えてください。
西野:
当たり前ですが、「安全性」だけは絶対に譲れない部分です。
最近は、柄を太くして先は細くしたいという要望が多いですが、基本的には受けていません。
そもそも昔の竹刀は、左手の握りより先端が太いのが通常の仕様でした。
「弘光作」銘の竹刀は、この仕様を元に製作していますので大変丈夫です。
定期的に稽古で使用しても、3年以上も破損しないという声も数多く頂いています。
素材も良質な国産真竹を選定しているので、植物油を塗ってしまうと過剰に柔らかくなってしまいます。
そのため、あえて機械油を塗布しています。
形状にもこだわっています。
刀の形状を意識し、組み上げる竹材パーツのうち、サイドの竹材には幅の広い物を使用し、上下の竹材には幅が細い物を使用するようにしています。
これにより、あらかじめある程度「小判型」で、刀に近い形状をしています。
さらに、「矯め」により限りなくまっすぐにしたタイプの竹刀を「直刀型」と名付けました。
市販の「古刀」タイプと混同されがちですが、「古刀」というのは要するに「細作り」のことです。
こういった区分も、しっかりと伝えていければ良いと思っています。
KP:
用具も古いものが揃ってますね。
西野:
使っているカンナや手刀等は、今では作られていないものばかりですが、実は最近になって入手した物も数多くあります。
というのも、他業種でも工作系の職人の廃業が増加しているので、そこで手離した工具がリサイクルショップ等に出てくることがあります。
そういった工具を引き取って活用しています。
稀に玉鋼製のカンナまでありますので、全国的な工作職人の減少を肌で感じているところです。
KP:
国産真竹の生産地も減少してきています。
西野:
国産真竹というと京都の丹波が有名でしたが、伐採や温暖化によってなかなか良質な竹材が見つからなくなってきています。
現在は、独自のルートを活用して関東北部や東北から竹材仕入れています。
「弘光」の銘とは別に、竹刀のサイドには竹の産地を彫り込んでいます。
これにより、ユーザーの方々に竹そのものにも理解や興味を持って頂けたら幸いです。
|責任を持って技術伝承を行う
KP:
現在10名以上のお弟子さんに技術を伝承なさっているとのことですが、教え始めたきっかけは何でしょうか?
西野:
東北のある自治体から、過疎対策として人材の受け入れ要請が来たのが最初です。
もともと初代「弘光」さんは、「ご飯を食べさせてもらった技術は、後世に残すのが当たり前」と言う考え方の持ち主でした。
これにより技術指導を積極的に行い、結果として職人同士の競争が起こり、技術開発も進みました。
その影響もあり、今では全国各地から技術指導を求めて10名以上の生徒が来ており、私も積極的に技術指導にあたっています。
ある程度熟練した生徒には、個別に銘を授与しています。
KP:
仕事をしながら、技術を教えていくのは大変だと思います。
西野:
「教える」という行為は、時間の余裕のみならず気持ちの余裕がないと難しいと感じています。
体力の低下もあり、現在は「弘光」銘の竹刀製作は午前中に限定しているので、その分技術指導に時間を宛てています。
それでも、1日で10本程度は製作できます。
その自信が、「教える」までの気持ちの余裕を生んでいるのかもしれません。
KP:
メイン顧客はどなたでしょうか?
西野:
顧客は、個人ユーザーがメインです。
長年のリピーターの方が多いので、「弘光」銘の竹刀を50本以上持ってる方もいらっしゃいます。
一方で不当に「軽くしてほしい」、「安い物がほしい」等、技術への理解やリスペクトを欠くオーダーは、たとえ高段者の方であっても受け付けておりません。
技術や価値を守るためには、技術に敬意を払い、それを発信し、相応の対価を支払いことが大切であると考えるからです。
|仕事は追われるな、追いかけろ
KP:
未来の剣道具界や職人へメッセージをお願いします。
西野:
私自身、近い将来竹刀製作を辞めて、弟子たちに完全に竹刀製作を任せたいと考えています。
日頃彼らに言っていることが2つあります。
・竹刀作る人は、過剰に稽古をしてはいけない
・仕事は追われるな、追いかけろ
前者は、日頃稽古をしすぎて、竹刀自体を自分好みに作ってしまわないようにしなさいという意味です。
後者は、常に気持ちに余裕を持ち、製作に追われるのではなく技術伝承まで行いなさいという意味です。
ユーザーに対しては、貴重な技術の価値を理解し、竹刀製作の職人を守っていってほしいと思います。
職人として良い物を提供することは当然ですが、ユーザーの方々にもその背景やこだわりに興味を持っていただき、そこにしっかりを対価を払っていただくような関係であり続ければ良いと思います。
そして西野竹刀製作所の技術が、1日でも長くに続いていってほしいと願っています。