▼武道具店インタビュー▼
「門外不出の剣道具製作」
〜松川武道具 松川靖博〜
オリジナルの型を元に、現代最高技術で剣道具(防具)作り上げる「靖龍」ブランドで知られる松川武道具。
あえて”手刺剣道具だけ”にこだわる想いを、お伺いしました。
(以下 KENDO PARK=KP 松川靖博=松川)
-松川武道具-
初代(靖博氏の尊父)が、1930年(昭和5年)より剣道具の製作修行及び販売を開始。
1956年(昭和31年)、松川武道具製作所として正式に創業。
初代(靖博氏の尊父)により、オリジナルブランド「靖龍」を設立。
1966年(昭和41年)、2代目として靖博氏弟子入り。
限られた剣道具職人だけが入会できる、全国剣道具職人会へ入会。
2003年(平成15年)、3代目として裕司氏弟子入り。
現在靖博氏と裕司氏で店舗を経営。(2018年8月現在)
|受け継いできた”技術”と”型”
KP:
松川武道具は60年以上の歴史を誇りますが、創業までの経緯を教えてください。
松川:
1930年(昭和5年)に、初代(靖博氏の尊父)が剣道具製作の修行を開始したのが始まりです。
たまたま親戚に剣道具店を営んでいる方がいらっしゃったので、そこに弟子入りしました。
そこで5年程度修行を積んだ後、個人で剣道具の製作と販売を請け負っていたようです。
当時はもちろん機械などなかったので、型紙の書き起こしから刺し、組み立てまで全て行っていました。
それらを含めると、習得には5年程度かかるのが一般的だったとのことです。
KP:
その後、正式に松川武道具を設立されました。
松川:
1956年(昭和31年)に、現在の場所から少し離れところで、松川武道具を創業いたしました。
当時、剣道具製作の名人のほとんどが京都におり、京都が”剣道具師の聖地”とも呼ばれていました。
そこで初代は、剣道具製作を行うのと並行して、京都に何度も足を運び、剣道具の「型」を集めていました。
それらをアレンジして、オリジナルの型を完成させたのが、松川武道具製作所の剣道具ブランド「靖龍」です。
KP:
2代目靖博さんに受け継がれた時のことを教えてください。
松川:
創業してから10年後の1966年に、2代目として私(靖博氏)が弟子入りしました。
初代からの手ほどきのもと、修理が剣道具製作を教えてくれるという事で最初の1年間はとにかく修理をこなして基礎となる技術を身につけました。
初代は甲手のヘリ革を張り替えるのに、1時間で4個程度行っていたとのことで、まずはこれを超えられるように取り組んだところ、最終的には5個程度こなせるようになりました。
防具の製作に入ってからは、最初に垂を手がけました。
垂は曲線が少なく、「手でしっかりと真っ直ぐに縫う」という点において、刺や縫製技術の基本となる部位です。
松川武道具では、昔から1分や1.2分などあえて刺幅の細かい防具(剣道具)をラインナップに入れています。
普通に仕立てるとかなり固い布団となってしましますが、それに柔軟性を持たせるには独特の力加減や刺の技術が必要だからです。
そうやって技術を磨く意味でも、当初から細かい刺幅の防具(剣道具)を製作していました。
結局初代と同じように、型起こしから完成まで全て一通りの工程ができるようになるまで5年を要しました。
|こだわりのブランド「靖龍」
KP:
オリジナルブランド「靖龍」の特徴を教えてください。
松川:
「靖龍」のブランド名は、初代本人が命名致しました。
ちなみに息子である私も、名前に「靖」の文字を受け継いでいます。
「靖龍」の一番の強みは、何と言ってもオリジナルの「型」です。
初代からは膨大な数の型を受け継いでいますが、その中には現在では亡くなられた有名剣道具師のものも多数含まれています。
これらの良い点を組み合わせて作り上げた「靖龍」の型は、使いやすさ、高貴、仕立て等において、最高の剣道具に仕上がっています。
このオリジナルの型は、「靖龍」シリーズのすべてに共通で適用しています。
例えば面の仕立てですが、まず顎や額の形に合わせ天地(=額を付ける場所を”天”、顎を乗せる場所を”地”という)を縫い付け、内輪を縫い付ける際は、接着部分を丸くして縫い付けます。
これにより、面紐をしっかり結ぶ必要がない程にぴったりと顔にフィットします。
小手(甲手)で言えば、「見た目小さく、中広く」を意識した作りになっています。
また慣らす時間もほとんど必要なく、数回の稽古で違和感なく使用する事が出来ます。
これらすべてが、先代が数ある型を用いて試行錯誤の上にたどり着いたオリジナル仕様です。
私自身、「金額が高い剣道具でも、使いにくかったら意味がない」と考えています。
そういう意味で「靖龍」には、ユーザーの使いやすさのために研究を重ねたノウハウが詰まっています。
KP:
販路はどこであったのですか?
松川:
私が入社した当時は、基本的な販路は中学や武道専門学校等でした。
各学校の先生に製品を使っていただき、そこから生徒に広がっていく形が多かったように思います。
それが、少しずつ個人顧客中心に変化していきました。
最初は福岡県内のお客様がお店までいらしていただくようになり、それがさらに口コミで広がり九州各地からもお客様に来ていただけるようになりました。
近年ではフェイスブックでも情報発信を始め、今では全国各地からお問い合わせを頂いています。
もちろん全て対面で対応するのは難しいため、場合によっては現在使用している防具(剣道具)を送っていただき、採寸調整を行うこともあります。
|3代目への継承
KP:
海外製が登場するなど、変化著しい中で生き残ってこられた秘訣を教えてください。
松川:
「技術の安売りはしない」をモットーに、こだわりを持って剣道具製作を続けてきたことではないでしょうか。
特に松川武道具オリジナルの型に関しては、門外不出を貫いてきました。
例えばお客様が来店されている時でも、作りかけの部品はその場で全てしまうほど徹底しています。
そうやって、受け継いできた技術や型を守ってきたことが、お客様に評価されているのだと思います。
KP:
現在は、3代目の裕司氏と製作にあたっていらっしゃいます。
松川:
3代目の松川裕司は、2003年に弟子入りいたしました。
彼にも、私が学んだ際と同様のメソッドで、技術伝承しています。
初代からの教えに、「とにかく真剣に作れ 。気は抜いて良いが、手は抜くな。」というものがあります。
技術のみならず、そういった心意気も伝えるようにしています。
今は、海外製でもそれなりのものを作ることができます。
その中で手を抜いてしまえば、私どもの製品はあっという間に価値を失ってしまいます。
一方で、気を張りすぎても良いものが作れません。
こだわりを忘れず、自然体で剣道具製作にあたってもらいたいです。
KP:
今後の目標を教えてください。
松川:
理想とする剣道具を製作し、「靖龍」ブランドを全国に広めることです。
全国剣道具職人会のホームページにも載っている通り、「靖龍」の剣道具(防具)は、独自の技術により完成直後でもすぐに試合等で使用可能です。
まだまだ改善途上ではありますが、理想とする剣道具に少しでも近づいていけば良いと思っています。
ひいては、「一流剣道具といえば靖龍」と言っていただけるほど、お客様から信頼されるお店になれればと思います。
<取材・文 永松謙使>