【伝説と伝統を守り抜く】大和武道具製作所 伊藤喜一郎

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▼スペシャルインタビュー▼

「伝説と伝統を守り抜く」

〜大和武道具製作所 伊藤喜一郎〜

約70年もの歴史を誇り、長年にわたり兄弟(伊藤喜一郎氏・伊藤毅氏)で経営を行ってきた大和武道具製作所。
2018年末に伊藤毅氏が急逝し、存続の危機に遭いながらも、決死の想いで店舗を守っていらっしゃいます。
そんな伊藤喜一郎氏に、改めて工房存続への想いをお伺いしました。

(以下 KENDO PARK=KP  伊藤喜一郎=伊藤)

※故・伊藤毅氏のインタビュー記事はこちら
【伝説の職人】大和武道具製作所 伊藤毅

|剣道再興期を支える

KP:
剣道具製作に携わったきっかけを教えてください。


伊藤:
昭和29年頃から、父を手伝う形で仕事を始めました。
当時私は中学生で、工房も個人事業の「伊藤製作所」としてやっておりました。

中学生・高校生の間は、「できることだけ手伝う」という感じだったのですが、大学へ進学する気がなかったため、高校を卒業する頃から本格的に父に師事を仰ぐようになりました。


KP:
お父様のご指導はいかがでしたか?


伊藤:
指導といっても、父から教えてくれることは一切なく、「これやってくれ」を渡されるものを、見よう見まねで仕立てるというものでした。
もちろんやり方がわからないため、その部分をこちらから父に聞いて、学んでいきました。

私が本格的に剣道具製作に携わり始めたのは昭和32年頃ですが、当時父は朝から晩まで剣道具製作にあたっていたため、ゆっくり腰を据えて教えるという状況になかったと思います。

そんな状況もあり、組合活動や外回りで他の剣道具店に行った際に、そこの職人にも技術を教えてもらうようにしていました。
そうしているうちに、5年ほど経った頃には、一通りのものは自作できるようになりました。


KP:
当時の販路や商流は、どのようなものでしたか?


伊藤:
東京近郊の剣道具店の下請けとして、商品を卸していました。
特に都内の大手剣道具店は、ほぼ全店とお取り引き頂いていたと思います。

当時の伊藤製作所では、主に面と垂を手がけていました。
と言いますのも、千葉県の小手職人「宮下悟道(みやしたごどう)」さんが大きな生産力を持っていたため、小手の部分はあまりシェアが取れていませんでした。


KP:
一番大きかった取引先はどこでしたか?


伊藤:
「(旧)松勘」(現・松勘工業)さんとは、本当によく仕事をさせて頂きました。
現在の剣道具業界では考えられないですが、当時松勘さんは東京の浅草の中心部に大きな店舗を構えていらっしゃり、毎日のように商品を納めていました。

戦後の剣道再興期を経て、ある意味ブーム的な時期でもありましたので、何もしなくてもオーダーをたくさん頂けた時代でした。
あまりにも多いため、一部のオーダーは断っていたほどであったと思います。


KP:
どれくらいの量を製作していたのですか?


伊藤:
面と垂を中心に色々なものを作っていたので、一概には言えないですが、例えば面であれば、1日あたり30~50個くらいは組み立てていたと思います。
月換算すると、防具セットで500組くらいは納品していたのではないでしょうか。

もちろん、並行して布団の刺作業や垂の製作等もあるので、ピーク時で17~18人体制で生産を行っていました。
工房に入り切れないため、2部シフト制にして、朝9時〜深夜2時頃まで作業を行なっていました。
私達兄弟も、交互に交代しながら作業にあたっていました。

さらには、当時警察において銃剣道の導入時期でもあったため、一度に4,000組のオーダー等もあり、営業努力のようなものはほとんど必要なかったように思います。

製作数が多いあまり、工房には職人や内職の方ばかりで、注文配送や注文聞きといった外回りをする人間がいませんでした。
そこで父に乞われる形で、私が外回りも担当することとなりました。
当然、製作の職人をしながら外回りをしていたので、毎日本当に忙しかったです。

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剣道具製作をてがけて60年以上となる伊藤喜一郎氏。
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大和武道具製作所 商品ラインナップ

|量産化時代

KP:
現在の「大和武道具製作所」に名称変更した経緯を教えてください。


伊藤:
徐々に事業規模が大きくなってきたため、昭和48年に法人化しました。
その時には父もかなり高齢となっており、ほとんどの仕事を我々兄弟を中心に行っていたので、「父の個人事業」という段階から名実ともに脱却する意味もあったように思います。

その後昭和55年に父が死去し、弟の毅を代表者にする形で完全に兄弟経営の体制となりました。
兄弟経営している業者は他にもありましたが、兄弟2人ともすべての製作工程を手掛けられるのは、少なかったように思います。
工房に来た他業者の方にも、よく褒められました。


KP:
その後、量産化が進みました。


伊藤:
海外製品が出てくる前から、国内でも量産化が進んで、業者間の品質のバラつきが見られるようになっていました。

大和武道具製作所では、そういった品質に流されないよう、特に耐久面を改善しながら剣道具制作を行なっていました。
耐久性を強化する分、ミシン等の縫製マシンのパワーが追いつかなくなり、専用のミシンを作ってもらいました。

この旧式ミシンは現在でも使用しており、大和武道具製作所特有の耐久性に特化した製品スタイルにつながっています。


KP:
90年代に入ると海外製品が入ってくるようになりますが、当時の業界の変化について教えてください。


伊藤:
平成2~5年あたりから、「製造卸」をやりたいという業者が増えてきて、彼らが海外で生産を開始したのが始まりです。

というのも、新規で「製造卸」に参入しようとしても、国内では我々のような業者がすでに生産体制を築いていたことと、職人同士のコミュニティもあったため、参入障壁が高かったと思います。
人件費の問題もあり、海外に生産拠点を作るのは自然な流れであったのかもしれません。


KP:
大和武道具製作所が、そこに追従しなかったのは何故ですか?


伊藤:
一番大きかったのは、ピーク時から毎年のように全体の需要が減っていたことです。
またその時点で、既に職人が高齢化していたため、海外に教えに行ったり、新たな体制を作るのは不可能でした。

もちろん、剣道具製作自体にはかなりのこだわりを持ってやっていたので、海外で製作する気は、始めから無かったとも言えます。



KP:
その頃の販路は、以前と変化していましたか?


伊藤:
大手メーカーからの発注が減っていたのですが、その代わりに学校の部活動や地元道場等の取引先が少しずつ増えていきました。

営業人員がいたわけではないので、納品先の小売店が販売に行っていた先を、小売店の廃業と共に引き継ぐ等して、徐々に拡大していったと言うイメージです。

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耐久性に特化した布団を使用するため、旧式ミシンでなければ刺せない。
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大和武道具製作所 商品ラインナップ

|海外に販路を求める

KP:
お客様の変化は感じますか?


伊藤:
どうしても、安いものを求められるようになったとは感じています。
お付き合いのあった中学・高校・大学等の先生方も、どんどん定年になられていらっしゃいます。
当然稽古量が減りますし、時代とともに金銭的余裕も少なくなってきているということもあると思います。

一方で増えてきたのが、海外への販売です。
大和武道具製作所はホームページ等もなく、何の情報発信もしていなかったのですが、色々な方のご縁で今では約20ケ国もの方からご注文をいただいています。


KP:
海外販路はどのように生まれたのですか?


伊藤:
元々お付き合いのあった東京芸術大学の関係で、マレーシアに訪問する機会がありました。
その際に現地の先生と懇意となり、そこから教え子の方をご紹介いただく形で、お取引が始まりました。
とはいえ、当時はまだ東南アジア諸国はまだまだ発展途上で、剣道具を買えるような方は少なかったと思います。

それから何年かして、マレーシアから日本に留学をしてくる子がおり、その子のアテンドによって、2010年頃から少しずつ海外オーダーを頂くようになりました。
そして2015年の世界選手権東京大会にて、マレーシアチームの剣道具を全て手掛けさせて頂いたとともに、大会にブース出展したことで一気に他国にも広がっていったと思います。

今では、日本に来た際に個別に立ち寄ってくれる外国人剣士の方もいらっしゃり、大変ありがたい限りです。



KP:
現在店舗で修行中でいらっしゃるハンさんも、元々ブルネイからの留学生だそうですね。


伊藤:
彼は、2年前くらいから私の仕事を手伝ってくれています。
元々ブルネイで剣道をやっていて、同国の代表選手でもあったのですが、数年前から日本の有名私立大学に留学していました。
そのうちに大和武道具製作所の工房に顔を出してくれるようになり、海外のオーダー対応等を手伝ってくれていました。

それが2年ほど前に、弟の毅(故)に「本気で剣道具製作がやりたい。伊藤さんの技術を教えて欲しい。」と言ってきたことから、本格的に手伝ってもらうようになりました。

創業以来、いわゆる「弟子」というのは、ほとんど取ってこなかったのですが、私達兄弟も高齢であることもあり、前よりも体力が落ちてきたことや、技術を残さなければいけないという想いもあり、迎え入れることにしました。


KP:
その直後に、弟の毅さんが亡くなられました。


伊藤:
急な出来事でしたが、ハンをはじめ、昔からの仲間が助けてくれたので、本当に助かりました。
特に海外オーダーは、基本的に弟の毅(故)が受けていたため、英語や中国語ができるハンがいてくれなかったら、今頃仕事が続けられなかったかもしれません。

今までは、「剣道具職人では飯が食えない」「どうせ続かないだろう」と思って弟子を取ってこなかったのですが、彼の熱心な姿を見ていると、今は頑張って欲しいと思っています。

※故・伊藤毅氏のインタビュー記事はこちら
【伝説の職人】大和武道具製作所 伊藤毅

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ブルネイから留学生でありながら、修行を続けるハン・イエン氏。
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|工房存続のために

KP:
今後について教えてください。


伊藤:
まずは職人として、「死ぬまで剣道具を作りたい」と考えています。
とはいえ、80歳を過ぎたあたりから、目に見えて力が入らなくなり、体力の衰えも感じています。

全国的にも、技術を持った職人がどんどんいなくなっています。
そういう意味でも、若い職人が出てきてくれると嬉しいです。

一方でこれまで職人一筋でやってきたので、私自身「ビジネス」という部分は苦手としています。
時代の変化が早い中で、今の時代はシンプルに「売ることが一番難しい」と感じています。

その中で生き残るためにも、若い力を借りながら大和武道具製作所が続いてくれれば良いと考えています。

職人全員で一生懸命製作していますので、是非一度大和武道具製作所の剣道具を手に取ってもらえると嬉しいです。

※故・伊藤毅氏のインタビュー記事はこちら
【伝説の職人】大和武道具製作所 伊藤毅

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毅氏が座っていた席は空けたまま、作業を続けている。
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