「トレーナーとして剣道家を支える」
〜新屋マッサージ整骨院 田中功太〜
かつての剣道名門校高輪高校出身にして、現在は整骨院を営む田中氏。
独自のメソッドで、剣道のトップ選手も御用達の整骨院となっています。
そんな田中氏に、トレーナー目線での剣道や今後の展望を語っていただきました。
以下、田中功太氏(社長):田中 KENDO PARK:KP
-田中功太(たなかこうた)-
1981年生 東京都出身
小学校6年生の時に東競武道館(@東京都大田区)で剣道を始める。
中学時代に東京都道場少年剣道大会にて団体準優勝。
中学卒業後に、高輪高校(@東京都港区)へ進学。
高校卒業後は、明星大学(@東京都青梅市)へ進学。
2年時に創部以来初の全日本学生優勝大会へ出場。
4年時に剣道部主将を務める。
大学卒業後、専門学校を経て「あん摩マッサージ指圧師国家試験」に合格。
8年間病院へ勤務の後、2014年に「新屋マッサージ整骨院」(@東京都大田区)を開設。
|兄の背中を追って
KP:
剣道を始めたきっかけから教えてください。
田中:
剣道を始めたのは、小学校6年生の時でした。
兄が地元の東競武道館(@東京都大田区)で剣道をやっており、そこからスポーツ推薦で高輪高校(@東京都港区)に入学しており、「剣道を通じて進学していく」という姿を見ていました。
そういった影響や父親からの勧めもあり、私も少し遅れて東競武道館に通うようになりました。
今思えば、決して自分から進んで剣道を始めたわけではなかったように思います。
KP:
小学校6年生からスタートとしますと、少年剣道の中では比較的遅い方のように感じますが、どのような稽古であったのでしょうか。
田中:
東競武道館では、豊村東盛先生(現・全日本剣道道場連盟専務理事および範士八段)にご指導をいただきました。
入門が遅かったのですが、小学生のうちに試合に出場させたいというご意向もあったようで、最初から比較的実戦的な稽古であったと思います。
もちろん入門当初は基本を教えていただいたのですが、かなり早い段階で剣道具(=防具)の装着を許可いただき、実戦稽古が始まりました。
稽古は「基本打ち→試合稽古→かかり稽古→基本打ち」というメニューが主で、実戦の中で鍛えられたと思います。
また当時は豊村先生の指導も大変厳しく、稽古について行くのがやっとでした。
その結果、入門から約3ヶ月後には区民大会の個人戦に出場させていただきました。
6年生の秋に行われた区民大会では、欠員が出た関係もあり、団体戦にも出場させていただきました。
周りのメンバーの助けもあり、結果として初出場にして優勝を果たしました。
その時のことは、幼少期の本当に良い思い出として、今でもよく覚えています。
KP:
入門からすごいスピードですね。
中学に入ってからも、道場には通っていたのでしょうか。
田中:
中学には剣道部がなかったことから、中学生になっても道場には通い続けました。
週4回の稽古に加えて週1回の特別稽古があり、相変わらず稽古内容も厳しいものでした。
そのうちに団体戦の選手にもコンスタントに選ばれるようになり、チームとして区民大会では毎年優勝を果たし、東京都では団体戦で準優勝も果たしました。
また中学2年生時から団長を任せていただき、小中学生のチームの指揮を執るという経験もさせていただきました。
この経験は、幼少期の私にとって大変大きなものであったと思います。
|名門への進学
KP:
その後、名門の高輪高校へ進学なさいました。
田中:
剣道の実力としては全く足りていなかったのですが、兄への憧れもあり、当時全校でも剣道の名門として知られていた高輪高校へ進学いたしました。
進学にあたっては豊村先生からも多大なるサポートやご縁をいただき、本当に感謝しております。
高輪では甲斐修二先生(現・日章学園剣道部監督)の指導のもと、とにかく基本の反復練習がメインの稽古でした。
当時は稽古時間も長く、いわゆる「高輪の剣道」を刷り込まれたと思います。
正直なところ、入学した頃から「3年間レギュラーになることはないな」とわかっていました。
というのも、1年生の時点で2学年上の3年生がインターハイで優勝し、1学年下もインターハイで優勝した世代であったため、とてつもなくレベルの高いチームでした。
そのようなモチベーションの中で稽古を続けることは本当に苦しかったのですが、かといってさまざまな方に後押しいただいて進学したため、「辞める」という選択肢はなかったです。
この時の経験は、「我慢強く物事をやり切る」という面で、今に活きていると思います。
KP:
大学剣道についても教えてください。
田中:
もともと剣道をやりたい訳ではなかったのですが、両親の勧めもあり、大学でも剣道をやる前提で進学を考えました。
とはいえ、せっかくやるなら今度は試合に出たいという想いもあり、強豪ではなかった明星大学に進学いたしました。
3学年上から推薦制度ができたばかりで、自己推薦の形で入学させていただきました。
まだまだ選手も少ない状況でしたが、黒田英寿先生(現・明星大学剣道部総監督)の指導のもと、おかげさまで1年生から試合に起用いただき、さらに大学2年生時には、創部以来初の全日本学生優勝大会へ出場を果たしました。
KP:
大学の稽古はどのようなものであったのですか。
田中:
高校までのような、「先生からの徹底した指導と圧倒的な稽古量で鍛える」というようなスタイルではなく、大学になると「学生主体で考えながら稽古を組み立てる」というスタイルに変わりました。
私自身も、それまで「先生に意見を言う」ということはあり得なかったのですが、大学時代は黒田先生にたびたび意見を述べるようになり、「言いたいことははっきりいう」という新たな自分の一面にも気付かされました。
最終的に4年時には主将まで任せていただき、周囲のおかげで充実した大学生活を送ることができました。
|新たなキャリアに踏み出す
KP:
卒業後のキャリアを教えてください。
田中:
卒業にあたって、進路は色々と悩みました。
剣道部がある実業団からも声をかけて頂いたのですが、今後は剣道に頼って進路を切り開くのはやめようという想いもあり、手に職を持つことにいたしました。
そこで、何となく自分に向いているなと感じた「あん摩マッサージ指圧師」の専門学校へ通うことにいたしました。
3年間のカリキュラムを経て国家試験に合格し、「あん摩マッサージ指圧師」としてのキャリアをスタートさせました。
とはいえ、そのまま整骨院等に勤務すると、「マッサージ」業務がメインで、自分に付加価値が付きにくいと考え、医療的知見を学ぶために都内の病院に勤務させて頂きました。
給与自体は安かったですが、医師のすぐ近くで様々な知識を得ることができました。
その病院での約8年間の勤務を経て、2014年に「新屋マッサージ整骨院」(@東京都大田区)を設立いたしました。
KP:
独立して生計を立てていくのは、本当に大変なことだと思います。
田中:
接骨院は、法制上柔道整復師が所属していないと開業できないため、ちょうど知り合った柔道整復師の方を院長として雇用する形で開業にこぎつけました。
開業するにあたっては、専門学校時代から独立志向があったのと、ある程度医療現場で学んだという自負があったため、なぜか自信だけはありました。
一般の整骨院よりも付加価値があるため、少し時間が経てば、ある程度近隣から集客できてくるだろうと考えていました。
今考えれば当たり前なのですが、特に目立った集客施策も行わなかったため、一向にお客様に来院いただけず、そこから慌ててあらゆる人に話を聞きに行きました。
整骨院における集客の本質はサービス業に近いのではと考え、飲食店や美容系といった着地店舗型のサービス業を運営されている方に、とにかくアドバイスをいただきに伺いました。
いただいたアドバイスをもとに集客に注力した結果、徐々に近隣の方々に来院いただけるようになりました。
また病院での経験から、外傷にも対応できていたため、お客様からの信頼もできてきて、近所のお客様を紹介いただけるまでになりました。
|剣道家の身体事情
KP:
直近では、剣道のトップ選手への施術も手がけていらっしゃいます。
田中:
実は社会人になってからは、剣道からは完全に離れていました。
それが本院を開業して少ししてから、出身である高輪高校の選手が施術に来てくれるようになりました。
彼らは、高輪高校における剣道推薦の「最後の世代」でしたが、そこからOBの繋がりが徐々にできてきて、高輪出身の大学生やOBの方、また高校時代の恩師である甲斐修二先生等も来院いただくようになりました。
そのうちに、警察関係の選手も紹介で来院いただくことが増え、安藤翔選手(15′ 18’世界選手権日本代表・世界大会個人優勝)や竹ノ内祐也選手(15′ 18’世界選手権日本代表・世界大会個人準優勝)をはじめ、剣道界のトップ選手も施術させていただけるようになりました。
KP:
剣道の選手を施術なさる上で、強みとなっていることや剣道家の特徴等があれば教えてください。
田中:
先述の通り、私は幼少期から学生時代にわたって剣道をやってきたため、ある程度動きも把握しており、負担がかかる部分もおおよそわかっています。
私以外のスタッフも、多数の剣道家を施術しているので、そのうちに彼らの特徴をよく掴んでいると思います。
加えて剣道関係のお客様とは、私自身剣道の専門的な話がおおよそ理解できるため、その点も含めて安心感や信頼につながっていると思います。
剣道のトップ選手の体の特徴としては、まず他のアスリートよりも年間を通した体の負担が大きいと感じます。
と言いますのも、基本的に「シーズンオフ」というものがないため、オフ期間に集中的に肉体改造をしたり、リカバリーに充てられる期間が限られるためです。
また、肘・手首・アキレス腱・首等の関節系統の故障が多いのも特徴です。
やはりあれだけの筋肉量で竹刀を振り続けますし、重量のある剣道具(=防具)を装着しながら、打突の衝撃も受けますので、経年による摩耗や負担はどうしても大きくなってしまいます。
トップ選手でなくとも、剣道修練者の「怪我の代表選手」といえば、腰痛でしょう。
長時間にわたって過度に背筋を伸ばし続けるため、本来あるべき背骨の湾曲がなくなり、腰に負担がかかるのは、競技構造上仕方がないことのように感じます。
剣道家に限らず、アスリートに対して施術する上で私達が気をつけていることは、「なるべく休ませずに治す」ことです。
たいていの怪我は、練習や稽古を休めば自然と回復しますが、アスリートとしては普段の積み上げを止めるのは大変難しいことです。
そこで、なるべく練習や稽古、トレーニングをとめないように、定期的な施術やテーピング等を通して、パフォーマンスを維持しながら怪我を治していくことを意識しています。
|トレーナー目線で剣道をサポート
KP:
医院経営の中で、剣道と繋がっていることはありますか。
田中:
大人になった今になって、豊村先生の教えや姿は、医院経営に活きていると思います。
稽古自体は厳しい先生でしたが、その一方で誰に対しても丁寧に対応する姿勢を、その背中で教えていただきました。
そして、今は全日本剣道道場連盟という大きな組織を動かしていらっしゃいます。
私も従業員を抱える身となり、「人を動かすためには謙虚であれ」ということの大切さがやっとわかるようになってきました。
今でも豊村先生にお会いすると、口調は優しいものの全てを見透かされているような気がして、緊張してしまいます。
幼少期からそのような方にご指導いただけたことは、間違いなく今につながっていると思います。
KP:
今後のビジョンを教えてください。
田中:
剣道関係の方の輪をより一層広げ、皆様の「剣道ライフを支える存在」になっていきたいと考えています。
特に今後は、トップ選手だけではなく、一般の剣道家の方や学生の方々、子供たちにも来ていただきたいです。
というのも、これまでの施術を通して数々の一流選手や指導者の考え方や取り組みを聞いてきました。
体の施術と共に、そういった部分も伝えることができるので、一人でも多くの剣道家の方々のお役に立てれば幸いです。
今年の3月、分院として品川区の立会川にはり・きゅうも出来る新屋はりきゅう整骨院をオープン致しました。
従業員も増えたので、人材育成・技術とサービスの向上に努めていきたいと思います。
剣道家の皆様、「新屋マッサージ整骨院」へご来院を心よりお待ちしております。