▼スペシャルインタビュー▼
「剣道界への大提言」
〜スポーツジャーナリスト 二宮清純〜
あらゆるスポーツに精通し、スポーツジャーナリストとしてテレビでもお馴染みの二宮清純氏。
スポーツ振興の観点から、剣道への貴重なご意見をお伺い致しました。
(以下 KENDO PARK=KP 二宮清純氏=二宮)
二宮清純(にのみやせいじゅん)
1960年生 愛媛県出身
剣道二段であった父の影響で、小1年生から4年生まで地元剣道道場に所属。
スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして独立。
2000年に株式会社スポーツコミュニケーションズ 代表取締役に就任。
著書は「スポーツ名勝負物語」(講談社現代新書)、「スポーツを「視る」技術」(同)、「勝者の思考法」(PHP新書)、「プロ野球裁判」(学陽書房)、「人を動かす勝者の言葉」(東京書籍)など多数。
その他テレビ出演多数。
|「アマチュア」というものは存在しない
KP:
近代スポーツにおける「アマチュアスポーツ 」の位置付けを教えてください。
二宮:
オリンピック競技を中心とした近代スポーツは、イギリス発祥のものが多いと言われています。
というのも、元々スポーツは貴族階級のものでありました。
貴族はお金も時間の余裕もあるので、自然と彼らが優位に立つ状況ができていたのでしょう。
その流れから、「(オリンピックの出場者は)スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」という、いわゆる「アマチュアリズム」が生まれました。
しかし技術力や競技性向上には、どうしても金銭的援助が必要なこともあり、時代とともに実勢に合わなくなってきました。
そこで1974年に、オリンピック憲章から「アマチュアリズム」という文言が削除されました。
つまり世界基準でいうと、「アマとプロ」という概念はすでに無くなっています。
もちろんアマチュアリズム自体をすべて否定するわけではなく、日本の実勢にあわせた考え方が必要ではないかと思います。
|「競技普及」の原則
KP:
競技普及において、必要なことは何でしょうか?
二宮:
あくまで一般論ですが、「わかりやすさ」が最も大切だと思います。
例えば、サッカーとラグビーを比較した場合、同じ「フットボール」でありながらサッカーの方が人気があります。
これはサッカーが「ボールを蹴って、ゴールに入れれば得点」という、大まかな競技性やルールがわかりやすいからです。
一方ラグビーは、ルールがサッカーよりも複雑な上、ボールの所在や得点形式がわかりにくいことで、観る上でのハードルが高いと言えます。
もちろん、ラグビーもそこは理解しており、最近はレフェリーが丁寧に説明するなど、一般のファンにもわかりやすくなってきました。
KP:
同じ武道の中での事例を教えてください。
二宮:
「分かりやすさ」でいうと、相撲でしょうね。
誰が見ても勝負が分かりやすく、特別なルールも無いので、知識がない人でも観戦のハードルが低いと言えます。
そういう意味でいうと、柔道も「分かりやすさ」を高める取り組みをしています。
例えば青柔道着の導入やポイント制を導入し、現在でも毎年のようにルール改正が行われています。
国際柔道連盟は、明らかに「勝負を可視化」することに比重を置いてきています。
もちろん放映権料の影響や、メディアの意向等も反映されているので、日本人として全てが賛同できるものではありませんが、柔道界全体として試行錯誤しているところだと思います。
KP:
2020年の東京オリンピックでは、空手も実施競技となりました。
二宮:
そもそも現代のオリンピックは、かかる費用や施設の後処理等が大きな負担になることから、昔ほど招致したがる都市は少なくなりました。
その影響もあり、招致先の都市ならではの競技や、人気のある競技を積極的に採用していくというIOCの方針もかなり影響していると思います。
空手の採用や女子ソフトボールの復活などは、まさにその具体例でしょう。
|剣道普及には「戦略」が必要
KP:
二宮さんは剣道経験者でいらっしゃるそうですね。
二宮:
父が剣道二段であったこともあり、父が指導する地元の小学校で、小学1年生から4年生まで剣道を習っておりました。
当時はいわゆる「スポ根」全盛の時代で、小児ぜんそくを患っていた私に対し、父が「寒稽古で精神を鍛えれば治る」ということで、剣道を始めさせたという状況でした。
今では笑い話ですが、当時は稽古が嫌で嫌で仕方なかったですね。
結局小学4年生で、辞めてしまいました。
KP:
今では考えられない話ですね。
二宮さんから見て、現在の剣道の魅力は何だと思いますか?
二宮:
剣道の魅力と強みは、日本の伝統としての価値だと思います。
ある程度の競技人口を有しながらも、ここまで昔ながらの価値や佇まいを守っているケースはあまりないのではないかと思います。
近代スポーツが発達してきた今だからこそ、古き良きものには一定の価値が生まれると思います。
また剣道は生涯スポーツであり、義務教育に取り入れられるほど、教育とも親和性が高い競技です。
現在の日本の少子高齢化社会においては、その価値を見直されてしかるべきだと思います。
KP:
逆に課題は何でしょうか?
二宮:
部外者から見た意見ですが、もう少し普及に向けた戦略があってもいいと思います。
先述のような生涯スポーツ的側面や教育的側面は、剣道家であれば既知のことであると思いますが、それを「誰に向けて」「どうやって」発信していくかといった議論に乏しいのではないでしょうか。
要するに「内向き」ではなく、「外向き」の説明です。
剣道は元来プレイヤーが公務員主体であり、(特に地方の)剣道具店も学校の新入部員へのビジネスを前提としてきました。
競技の継続率も比較的高く、競技人口もそれなりにいたため、「未来について業界全体で議論する」必要がなかったのだと思います。
一方で日本国内では少子高齢化が進み、従来のモデルが通用しなくなっているのは間違いありません。
「何かを変えなければいけない」状況下で、「どこを変えて、どこを守るか」を議論することが必要なのではないでしょうか。
それこそ、「剣道の未来100年計画」のようなものを策定しても良いかもしれません。
KP:
具体的には、どこをターゲットにしていけば良いでしょうか?
二宮:
他のスポーツにも共通していますが、国内で競技を盛り上げるのであれば、「高齢者」と「インバウンド」に対するアプローチは避けて通れないと思います。
幸いにも、剣道は高齢者が取り組める数少ない競技です。
剣道を通してエクササイズと「生きがい」を得ることで、政府の進める健康寿命の延伸にも寄与できると考えます。
インバウンドについても、剣道のような日本文化的側面が強いものは、海外の方の方が関心が高いことが多いと思われます。
剣道には茶道でいうところの「家元」や「京都」のような聖地がないので、情報発信の拠点がはっきりしていません。
そういったものをしっかりとブランディングすることも、必要になってくるのではないでしょうか。
|「心理的障壁」を取り払う
KP:
昨今、テレビ番組や映画、漫画などでも剣道を取り上げたものは少なくないのですが、目立った効果を上げていません。
どのように露出していけば良いのでしょうか?
二宮:
それに関しては、明確な答えがあるわけではありません。
ただ最近の傾向を見ていると、漫画やアニメは比較的バーチャルで誇張されたものが強い気がします。
一方で映画やドラマは、現場の延長線上に描かれるのが基本線のようです。
例えば昔、森田健作主演の「おれは男だ!」というドラマがありました。
あれはどちらかというと実際の剣道部の延長のような形で描かれていました。
一方、漫画「北斗の拳」は空手をベースにしていますが、内容は空手とは程遠いものとなっています。
このように、剣道をベースとしながら「一つのジャンルを作ってしまう」のも良いかもしれません。
KP:
メディアへの露出に関しては、毎度その形式が議論を生みます。
二宮:
特にバーチャルなものやエンターテイメントに近いものに関しては、剣道家の「心理的障壁」が大きいのでしょう。
この「心理的障壁」は、「まず知ってもらう」という観点から言うと取り除く必要があります。
例えば、オリンピック競技である乗馬を取材した際、得点形式がよくわからずイギリス人に質問したことがありました。
ただどんなに聞いても、「お前たち素人には、わからなくても良いんだよ」という反応でした。
剣道も同様で、ルールが難しい上に文化的側面が強い分、「わかる人はわかればいい」で終わってしまう危険性があります。
現在のように内部完結の方向性で進めていくのであれば良いのですが、今後「普及」という観点が必要なのであれば、この「心理的障壁」を取り除いて未来志向の議論が必要になると思います。
|人目に触れるから成長する
KP:
今一度、長期目線での戦略議論が必要ですね。
どのように議論を喚起していけば良いでしょうか?
二宮:
「一人でも多く人目に触れる」ことが、一番の近道だと思います。
一般の方が剣道を観る機会が増えれば、自然と色々な施策が必要になります。
例えば、ルール解説やプロモーション、観客への見せ方まで様々な試行錯誤が生まれることでしょう。
場合によっては、ルール改正が必要になるかもしれません。
そういったトライ&エラーの繰り返しによって、競技力が向上していくのだと思います。
KP:
最後に剣道界へのメッセージをお願いします。
二宮:
今、スポーツ界は2020年の東京オリンピック一辺倒ですが、オリンピック自体はたった2週間足らずのイベントです。
大切なのは、オリンピック競技か否かに関わらず「スポーツや我々との生活は今後も続いていく」ということです。
その意味で、剣道にはブレないでいてもらいたいと思います。
ただ「ブレない」というのは頑なに新しいものを拒否するというこではなく、しなやかな強さを意味します。
それこそが日本文化の真髄だとも思われます。
「誇り」と「奢り」は紙一重です。
繰り返しになるものですが、「守る」ものと「変える」ものの仕分けを、一度きちんと整理しておくことでしょうね。
それが未来への出発点になると思われます。