▼レジェンド職人シリーズ▼
「本物の金蒔絵を世界に」
〜みさき蒔絵工房 御前秀邦〜
剣道の胴には、日本の高級品に用いられてきた伝統工芸がふんだんに使われています。
その中でも胴台に描かれる家紋や校章は、元来「金蒔絵」の技術を用いているものです。
伝統の「加賀蒔絵」にルーツを持ち、最高の伝統技法で描く製作現場に迫りました。
(以下 KENDO PARK=KP 御前邦夫=御前)
-御前秀邦-
金沢美術工芸大学日本画科卒
みさき蒔絵工房代表
加賀蒔絵伝統工芸士認定(平成7年)
▼主な受賞歴▼
日本画:日展、日春展、関西展(関展賞)、京展入選
蒔絵:五十嵐道甫特別賞、金沢漆芸会三十回記念特別賞、金沢市長賞、石川県デザインセンター理事長賞、石川県物産協会会長賞、伝統産業振興協会会長賞、市長優秀賞、技術奨励賞、組合理事長賞、兼六大茶会奨励賞、石川県物産協会会長賞
ほか多数。
|ルーツは加賀蒔絵
KP:
蒔絵に携わるようになった経緯を教えてください
御前:
もともと母方の家が、石川県の漆芸家の家柄であり、日本工芸会の創立メンバーでもありました。
その関係から、母方が大阪で漆器店を営んでおりましたが、当初は全く携わる気がありませんでした。
しかし絵を描くことは好きでしたので、日本画専攻で美大に進学し、そこで日本画の基礎を学びました。
卒業後は教員になろうかと考えていましたが、結婚を気に大叔父に金沢の蒔絵職人を紹介してもらい、そこから加賀蒔絵の技術を学び始めました。
30歳の時に金沢で蒔絵師として独立し、漆器類とともに大阪の剣道具業者胴台への蒔絵入れを受け始めました。
そして約10年前に、大阪で蒔絵教室を開くため、拠点を現在の大阪に移しました。
|伝統技法を宿す
KP:
蒔絵の歴史について教えてください
御前:
漆の塗り物は9,000年前から見られますが、大陸から伝わったものが奈良時代から平安時代にかけて国風化していき貴族文化の京都で日本独特の蒔絵が熟成され始まったといわれています。
その後江戸や金沢に技術が伝わり、江戸時代に徳川家(現在の東京)に仕えた幸阿弥派、加賀藩(現在の金沢)に仕えた五十嵐派等の流派に分かれて行きました。
その中で加賀藩では、江戸への忠誠を見せるために文化への協力を推し進めました。
その一つが加賀蒔絵です。
武家向けの装飾ですので、豪華さが最も大事であり、金をふんだんに使った金蒔絵が主流でした。
近年では主にお椀や重箱、茶道具などに蒔絵が入れられました。
KP:
蒔絵の技術について教えてください。
御前:
蒔絵の技術は、漆塗りの技術がベースとなっています。
塗りと感想を繰り返し、何度も塗り重ねていく部分は同じです。
金蒔絵に使用する金粉には「丸粉(まるふん)」と「平粉(ひらふん)」「消し粉(けしふん)」等がありますが、私のところでは一番厚みのある「丸粉(まるふん)」を使用しています。
丸粉は金の量が多くかかり高価ですが、見た目の高貴さが格段に違うので使用しています。
技法としても「高蒔絵(たかまきえ)」という、上に盛り上げて描く技法を取り入れているので、仕上がりは立体的でかなり重厚な印象になります。
主な製作工程
1・絵型をつける 置き目付け
2・絵型に沿って、錆、炭粉、漆などで盛り上げ
3・研ぎ
4・金粉を蒔く“粉入れ”
5・生漆や梨地漆で金粉を固める“塗り込み”
6・研ぎ
7・上絵描き
|本物を追い求める
KP:
独自のこだわりを教えてください。
御前:
江戸から明治にかけて非常にすばらしい工芸品が多く作られましたが、多くは海外に流出してしまいました。
それらは技巧を尽くし、手抜きなど一切なく、これでもかと手を掛けています。
私もそれに一歩でも近づきたいと思い、あえて手間のかかるやり方を選んで仕事しています。
楽を選ばず自分を甘やかさない心構えで日々精進したいと思っています。
また、蒔絵の持つ高貴さにもこだわっています。本物には品格がありますので、そういう物づくりを目指しています。
家紋を入れる際も、通常は一旦全体に金を蒔いて仕上げ、葉脈などは上絵で表現します。
私の場合は、書き割って凹ますことで筋を表現しています。
手間は比べられないくらい掛かりますがこれにより、重厚さを出てきます。
歴史ある加賀蒔絵に携わる者として、その高貴さを世界に伝えられるよう日々仕事にあたっています。
KP:
最後に今後の目標を教えてください
御前:
ほかの伝統工芸と同様に、本物の蒔絵を手がける職人も年々減少しています。
私が蒔絵の素晴らしさを世界中につたえることで、一人でも多くの方々に日本文化の蒔絵を知っていただき、それに連れて蒔絵師を志す次世代が出てきてくれることを願っています。