「古き良き”生地胴”に見た夢」
〜李大夏(イデハ)〜
韓国出身でありながら日本で剣道を始め、そこから剣道具の魅力に惹かれていった李大夏氏。
現在では「生地胴」の製作まで手がけ、さらに今ではほとんど見られなくなった「綴じ胸」を組み合わせ、古き良き剣道具を提案していらっしゃいます。
古くからの職人が少なくなる中、改めて剣道具の価値を発見する取り組みについて伺いました。
(以下 KENDO PARK=KP 李大夏氏=李)
|日本で出会った剣道
KP:
日本にいらっしゃった経歴から教えてください。
李:
1997年に、韓国からの留学生として来日いたしました。
その後日本で就職し、そのまま結婚して家庭を持ちました。
2006年に勤めていた会社から独立し、埼玉県で広告会社を独立致しました。
KP:
剣道を始められたきっかけは、何だったのでしょうか?
李:
元々韓国にいた時から剣道に興味があり、前々から母からも剣道をやって欲しいと言われいたこともあり、何となく憧れのようなものがあったと思います。
そこで子供が小学校に入学する前くらいの時期も重なり、2010年5月に子供と一緒に田柄志士会(@東京都練馬区)に入門致しました。
最初は子供の稽古に混ぜていただき、素振りや足さばきといった基礎を教えて頂きました。
当時は工藤雄司先生(故・教士八段)がいらっしゃり、本当に丁寧に教えて頂き、基本稽古からとても楽しかったことを覚えています。
KP:
稽古はどれくらいやっていらっしゃるのですか?
李:
現在では、田柄志士会に加えて野間道場(@東京都文京区)の賛助会員にも認可いただき、週4回程度稽古を行なっています。
それまでやっていたゴルフ等もやめ、野間道場には1年程度通って入会を認めて頂きました。
今では、仕事以外のスケジュールは剣道を中心として組むまでになっています。
結果として、本来であれば子供がメインであるはずでしたが、いつも間にか子供は辞めてしまい、私が一番熱中している状態です。
|竹刀製作から始まる
KP:
剣道具に傾倒していったのはいつからでしょう?
李:
元々「ものづくり」には興味がある方で、剣道を始めた時から剣道具に関しても興味を持っており、特にその文化性に関して自分で調べたりしていました。
そんな折、剣道を始めて1年後あたりから、近隣の剣道具店を回り始めました。
また、韓国の友人が日本の剣道具店を回りたいということで、通訳として同行するがてら各地域の剣道具店や職人さんを訪問していきました。
そんな中、インターネットの検索で辿り着いたのが「西野竹刀製作所」です。
手作業で竹刀を削っていく様子とその技術に感銘を受け、それから西野先生の所に通うようになりました。
そのうちに自分でも竹刀を作りたいと思うようになり、半年にわたって毎週のように竹刀作りを教えて頂けないかと頼みに行きました。
その甲斐あって、2011年の冬に正式に弟子入させて頂きました。
西野先生からは、竹の選定から溜めの作業(=曲がった竹を、熱して真っ直ぐにする工程)、カンナでの削り方まで教えて頂き、2013年に「武州 誉之作」という私専用の銘まで頂きました。
そうして竹刀製作の修行をするうちに、色々な職人や剣道具業者の方々と交流するようになり、そこからネットワークが広がっていきました。
特に近くにあった菅谷武道具(@埼玉県富士見市)の菅谷先生や、一緒に竹刀製作の修行を行なっていた榎本劍修堂(@埼玉県さいたま市)の榎本氏からは、技術共有のみならず職人さん等を数多く紹介頂きました。
また韓国の友人が現地で剣道具販売を行なっていたこともあり、海外の流通経路も徐々に開拓できていったと思います。
参考記事:【技術継承こそ職人の責務】西野竹刀製作所 西野勝三
|古き良き生地胴の魅力
KP:
生地胴との出会いやこだわりについて教えてください。
李:
前々から生地胴(=漆での色付けを行わず、透明な漆や漆を塗らないことで、胴台表面の牛革模様がそのまま見える胴台)を身に付けたいと思っており、1台購入したことがきっかけであったと思います。
先述の菅谷先生より、旧「浅野」胴台や旧「氏家塗」等の作品を見せて頂き、その魅力に惹かれていきました。
その後、橘塗(@埼玉県)をご紹介頂き、色々とお話を伺うようになりました。
橘塗の歴史は約50年を誇り、かつて埼玉で胴台製作を行なっていた「旧六三四堂」(@埼玉県)で場所を借りて営業してから、独立して現在の「橘塗」となりました。
本来「漆塗」というのは、武家や公家の献上物に施されるものでしたので、剣道のように「棒状のもので叩く」ということは想定しておりません。
しかし橘塗は、剣道を使用使途として塗りの技術を追求しており、叩いても剥がれにくいといったような特殊な技術を編み出しています。
KP:
今では珍しい「綴じ胸」(とじむね)を扱っていらっしゃいます。
それについても教えてください。
李:
伝説の剣道具師として知られる鈴木謙信氏の本を読む機会があり、そこに掲載されていた埼玉大学の試合胴に目を奪われました。
いわゆる戦後初期に作られていたような「綴じ型」の胴胸と、革紐で連結させた「網代胴台」を組み合わせたもので、心からかっこ良いと感じました。
その後、生地胴オーナーのコミュニティである「生地胴倶楽部」の方が、「綴じ胸」の生地胴を着用なさっており、「綴じ胸」と「生地胴台」を組み合わせたものへの憧れが強くなりました。
しかし現在では、「綴じ胸」を作っているところがなかったため、何とか自分で再現しようと考えました。
そこで中国の職人に依頼し、一緒に「綴じ胸」の製作を行うことに致しました。
当然「型」なども無ければ文献もほとんど無いため、先述の菅谷先生にも監修頂きながら、とにかくイメージを具体化する作業でした。
試作品を作っては破棄を何回も繰り返し、やっとのことで昔ながらの製法を用いて形にすることができました。
昨今では海外の方が数多く剣道具を製作しているため、客観的にいると縫製技術や組み立て技術は海外の方が高いケースが多いです。
その一方で製法や仕立ての部分は、昔からの文化や知見を持っている日本のほうが良いと感じます。
そういったバランスを鑑みながらものづくりに取り組むことで、非常に良いものを作ることができると考えています。
|「本当に良いモノ」を伝える
KP:
今後のビジョンを教えてください。
李:
将来的には、竹刀職人として手作り竹刀を製作していきたいです。
そのために、改めて歴史や文化、技法等を学び直すと共に、西野先生をはじめ様々な先生方から教えて頂いた素材や製法を、自分の中でしっかりとまとめてから取り組みたいと考えています。
また、剣道家の皆様に「本当に良いモノ」を紹介していきたいと思います。
剣道具に関しては、まだまだ正しい情報が整理されていない上、日の目を見ていない優れた技術や剣道具も存在します。
日本国内・海外を問わず、情報をきちんと整えて発信し、後世に伝えていくことができたらと考えています。