皆さんは、「宮本武蔵」をご存知でしょうか。
江戸時代初期の日本に実在した伝説の剣豪で、その生涯を無敗で飾ったとされます。
彼が興した「二天一流」こそが、現代剣道における「二刀流」の源流となっています。
その卓越した実力から、現代においても畏怖と敬意をもって語り継がれています。
今回はそんな伝説の剣豪、宮本武蔵について紹介していきます。
|宮本武蔵について
彼がこの世に生を受けたのは天正12年、西暦に直すと1584年の事であったとされます。
後に太平の江戸時代を迎える前段階にあたる年であり、豊臣秀吉が徳川家康擁する織田信雄と争った小牧・長久手の戦いが起こったのがこの年です。
播磨の国(現在の兵庫県)で育ったとされる武蔵は、13歳ではじめて剣をもって戦い勝利したとされます。
その後も数々の勝負を繰り広げますが、これを生来の才能から全て勝利したとされます。
また、芸術や碁にも類まれな実力を持っていたとされますが、その一方で風呂嫌いであったとする伝承もあり、出歩く際は常に裸足で、身体の汚れも気にせず布を多いごまかしていました。
そんな彼は関ヶ原の戦いや島原の乱といった歴史の転換期にあたる戦いにも身を投じています。
彼の戦いで最も有名なのは「巌流島の決闘」です。
武蔵がこの時何歳だったのかは定かではありませんが(一説によると29歳)強敵・佐々木小次郎との真剣勝負を見事制した武蔵は、その後29歳に至った際、「自らは剣を極めた」と思い至り、以後勝負をすることはなかったとされます。
武蔵は生まれた頃から剛腕であったとされ、2本の刀を自在に振るう「二刀流」もこの剛腕あればこそといえるでしょう。
彼が二刀流を着想したのは、馬上など戦で片手で刀を扱う必要性から、左右どちらの手でも片手で振れるように鍛練したとされています。
また一説には、太鼓を日本のバチで叩く様子から二刀流を思いついたともいわれています。(諸説あり)
いずれにしても彼の振るう「二天一流」は、以後宮本武蔵の代名詞として広く知られることとなりました。
さて、寛永20年(1643年)当時59歳であった武蔵は熊本県熊本市にある金鋒山にある霊巌洞にこもり、自らの生涯とその剣の全てを記した「五輪書」という1冊の書物の執筆をはじめました。
「五輪書」はその後2年の時をかけて執筆され、「五輪書」を書き上げて間もない1645年、彼はその長い生涯を閉じることとなりました。
この「五輪書」については、残念ながら原本は焼失してしまい残っていませんが、その写本は広く伝えられ現代に至ります。
参考記事:【剣道の二刀流とは?】
|宮本武蔵ゆかりの地
宮本武蔵にゆかりのある土地を紹介していきます。
皆さんもぜひ気になればぜひ一度足を運んで、歴史に名を遺す剣豪・宮本武蔵の息遣いを感じてみてはいかがでしょうか。
岡山県美作市
岡山県は一説では宮本武蔵生誕の地ではないかとされており、ローカル線「智頭急行智頭線」には「宮本武蔵駅」なる駅が存在します。
そこでは武蔵が祭りに赴いた際に太鼓をたたく姿から二刀流を思いついたとされる讃甘(さのも)神社や、宮本武蔵生家跡があります。
また、武蔵神社という神社もあり、ここでは武蔵野生涯無敗の伝説にあやかった「勝ち御守り」が購入できます。
八大神社(京都府京都市)
八大神社も、宮本武蔵ゆかりの地として知られる観光スポットのひとつです。
武蔵の生きた時代を思わせる神社のたたずまいばかりでなく、武蔵がさる武芸者と決闘を繰り広げたとされる舞台でもあります。
決闘の地には目印となる大きな石碑が建っており、宮本武蔵ファン必見です。
霊巌洞(熊本県熊本市)
宮本武蔵が彼の全てを綴った、「五輪書」を記した場所とされます。
今は観光スポットとして開放されており、洞にある大きな岩は宮本武蔵が座禅を組んだ場所です。
山肌に並ぶ石像と合わせ、雰囲気抜群のスポットです。
|「武蔵」関連の作品
宮本武蔵は本や映画等、様々な媒体においてメインテーマとして描かれました。
武蔵ゆかりの地を訪れる前の予習として、目を通してみるのも良いでしょう。
宮本武蔵(小説)
現在の「宮本武蔵像」を作り上げたといえるのが、吉川 英治氏による長編小説「宮本武蔵」です。
1935年から約4年間にわたり、朝日新聞に新聞小説として連載され、戦争期の国民マインドとリンクしたこともあり、当時の大衆小説の代表作でもありました。
その後の武蔵に関する多くの描写は、多くがこの小説を元にしています。
五輪書(書籍)
「五輪書」は、武蔵が己の全てを記した兵法書物で、地水火風空の5章からなります。
地では己の生涯、及び今の剣術に至るまでの経緯が書かれています。
水では剣術の心得が説明されます。火では、戦いの場においての立ち回りなどが書かれます。
風では他流の批判を独自の目線から行い、最後となる空の巻では、兵法の本質について言及しています。
これらは武蔵を知る上ではもちろん重要な文献ですが、水や火の巻においては武道の場においても活かすことができる知識も少なくありません。
バカボンド(漫画)
「スラムダンク」等で知られる井上雄彦氏が、吉川英治の小説を原作とし、大幅に加筆を加えて漫画化した作品です。
圧倒的な画力と緻密なストーリーから、見るものを虜にする圧倒的な完成度を誇り、数々の賞を受賞した大人気作です。
1998年から連載を開始し、2019年現在で37巻が出版されています。(2015年より休刊中)
宮本武蔵に興味がある人はもちろん、ひとつの漫画作品としても大変面白い作品です。
武蔵―むさし―(映画)
映画「武蔵―むさし―」は、2019年年5月に公開された映画作品です。
剣豪・宮本武蔵の生涯を描く時代劇です。
有名な「巌流島の決闘」をはじめとして見どころ満載の映画となっており、剣術シーンは迫力満点です。
従来の豪傑な武蔵像ではなく、史実に基づき若者から人間として成長する様を描いています。
KENDO PARKでは、武蔵役の細田善彦氏にインタビュー取材を行っております。
参考記事:【映画「武蔵−むさし−」の挑戦】新免武蔵役 細田善彦
|現代に残る二刀流
最後に、宮本武蔵の二刀流の現在の姿をご紹介します。
彼の編み出した最強の兵法は、今の世においても剣道の舞台にその姿を残しています。
剣道における「二刀流」を解説していきましょう。
「二刀流」は、文字どおり二本の竹刀を同時に扱う構えです。
左手に木立、右手に太刀を持つのが基本的な構えです。
左手で太刀を振る場合は「逆二刀」と呼ばれます。
ルール上は大学生以上から使用可能になり、その他にも日本剣道形において木立が登場するシーンがあります。
しかし実際は学生・社会人において二刀流を扱うものは少なく、衰退の一途を辿っていると言わざるを得ません。
二本の竹刀を同時に使いこなすことが難しいのも理由の一つなのですが、最大の理由は二刀流を教えることのできる指導者が不足していることです。
戦前の剣道界では今以上に二刀流が隆盛しており、当時の天覧試合(現在の全日本剣道選手権大会)においても決勝戦に二刀流の選手が勝ち進んだ記録も残されています。
それが戦時中の出兵により、国内の剣道人口も減少し、戦後にGHQが剣道禁止令を出したことで剣道は完全に勢いを失ってしまいました。
その後剣道が再興された後も、戦前の二刀流を伝える先生は居なくなってしまい、二刀流人口が衰退するに至ります。
しかし、宮本武蔵がそうであったように二本の竹刀を自在に扱うことができれば二刀流はまさに無敵といえるでしょう。
実際に海外の選手には宮本武蔵に憧れて二刀流を取る選手も存在し、いまや日本以上に二刀流が隆盛しているといっても過言ではありません。
参考記事:【剣道の二刀流とは?】
|武蔵の生き様から学ぼう!
今回は宮本武蔵と剣道について、ご紹介致しました。
剣道をやっていてもいなくても、宮本武蔵の生き様からは学び取るべきものが多くあるはずです。
現在では小説から映画まで様々な文献が存在しますので、一度武蔵について勉強してみるもの良いでしょう。